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名古屋高等裁判所金沢支部 平成2年(う)71号 判決

本籍《省略》

住居《省略》

無職 D

昭和四〇年五月一四日生

右の者に対する殺人被告事件について、平成二年九月二六日福井地方裁判所が言い渡した判決に対し、検察官から控訴の申立があったので、当裁判所は、検察官加藤元章、同寺坂衛、同松浦由記夫出席の上審理し、次のとおり判決する。

主文

原判決中無罪部分を破棄する。

被告人を懲役七年に処する。

原審における未決勾留日数中六五〇日を右刑に算入する。

原審及び当審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、名古屋高等検察庁金沢支部検察官川又敬治提出の福井地方検察庁検察官坂田一男作成の控訴趣意書に、これに対する答弁は、弁護人小島峰雄、同加藤禮一、同佐藤辰弥、同吉村悟、同藤井健夫共同作成の答弁書並びに同小島峰雄、同加藤禮一、同佐藤辰弥、同吉村悟、同藤井健夫共同作成の平成五年二月一九日付け及び同年三月一八日付け各答弁書補充書に、それぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。

第一総論

一  控訴趣意の要旨

本件殺人の公訴事実は、「被告人は、昭和六一年三月一九日午後九時四〇分前後ころ、福井市《番地省略》市営住宅六号館二三九号室F子方において、殺意をもって、同女の次女E子(当時一五年)に対し、灰皿でその頭部を数回殴打し、電気カーペットのコードでその首を締め、包丁でその顔面、頸部、胸部等をめった突きにし、よってそのころ、同所において、同女を脳挫傷、窒息、失血等により死亡させ、もって殺害したものである。」というものであるところ、原判決は、本件殺人発生時ころ、あるいはその後数時間の間に、犯行現場付近その他で、着衣等に血を付着させた被告人の姿を見たとか、被告人から本件殺人の告白を受けたとの関係者の供述があるものの、いずれも捜査段階、公判段階を通じて変遷があり、重要部分において相互の記憶、供述に食い違いや矛盾があり、その核心部分に確実な裏付けもなく、いずれも信用できず、また、本件犯行現場から採取した毛髪のうち二本が被告人の毛髪と同一であると考えられるとの鑑定結果は、他方これを否定する、趣旨の異なる鑑定結果があると、現状の毛髪鑑定は、指紋のように絶対的に個人を識別することはできず、個人識別にあたっての補助的役割をもたせるのが相当であること、この二本の毛髪と本件犯行自体との直接的結び付きが明らかでないことなどによれば、これをもって本件殺人の犯人と被告人とが同一人であるということはできず、本件殺人と被告人とを結び付ける物的証拠もなく、その他、被告人が本件殺人の犯人であると認めるに足る証拠もないので、結局、犯罪の証明がないことになる、として被告人に無罪を言い渡した。

しかしながら、前記関係者の各供述は、その内容に変遷が認められるものの、大筋では一貫しているのみならず、客観的裏付けもあり、これらの供述は、相互に絡み合い補強し合うことによってさらに高度の信用性が認められる上、犯行現場から採取された毛髪のうち二本が被告人の毛髪と同一のものと考えられる旨の鑑定結果は、被告人と犯行現場とを結び付ける極めて有力な情況証拠となり得るものであって、これらの証拠を総合して判断すれば、本件殺人の公訴事実はこれを優に認定し得るのに、これを否定した原判決の判断は、明らかに証拠の取捨選択及びその評価を誤り、事実を誤認したものであって、その誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、到底破棄を免れない。

二  検察官が本件犯行の概要として立証しようとした事実及び原判決が無罪とした理由の各骨子

1  検察官が本件犯行の概要として立証しようとした事実の骨子

(一) 被告人は、昭和六一年三月一九日午後九時ころ、当時AがI子(旧姓J)と同棲していた福井市《番地省略》所在のアパート「エレガント甲野」(以下エレガント甲野という。)に赴き、純トロと呼ばれる一斗缶入りの有機溶剤(シンナー)をAから受け取った後、かねてシンナー遊びのできる者としてMから聞いていたE子(以下被害者という。)とシンナー遊びをするために、たまたま同所を訪れていたB運転の自動車(スカイライン)に乗車して被害者方に向かい、途中、同市菅谷一丁目六番一号所在の菅谷公園前で、一斗缶から一リットル瓶にシンナーを移し替えたのち、同市《番地省略》所在の市営住宅丁原団地(以下丁原団地という。)六号館前に停車させ、一人で六号館二三九号室の被害者方に向かった。

(二) 被告人は、同日午後九時三〇分ころ右二三九号室を訪れてシンナー遊びをするよう被害者を誘ったが、これを拒絶されたりしたため激昂し、午後九時四〇分ころ前記公訴事実記載の犯行に及び、被害者を殺害した。

(三) その後、同日午後一〇時前後ころ、被告人は、衣服に被害者の血液を付着させて、Bの車に戻ったが、Bから右手の血痕を見とがめられるや、「けんかをした」と答え、姉夫婦であるYらの住む福井市《番地省略》の甲田コーポへ行くよう指示し、まもなく同所に赴いた。しかしYらが不在であったので、再びエレガント甲野に向かったが、その間被告人は、終始うつ向いてシンナーを吸っており、時折、「あの女馬か野郎。」等とつぶやいていた。

(四) エレガント甲野に赴いたものの、Aも不在であったので、被告人は当時Aが所属していた暴力団戊田会事務所に連絡し、翌三月二〇日午前零時ころ同事務所当番のGと応対した結果、当時福井市《番地省略》所在のゲーム喫茶「乙山」(以下乙山という。)で遊んでいたAと連絡が取れた。「人を殺してしもたんや。どうしていいか分からんのや。」との被告からの電話を聞いたAは、同所に来るよう被告人に指示するとともに、一緒に遊んでいたN'(旧姓N、以下Nという。)を北陸高校の近くまで迎えに行かせ、被告人は、Nの案内により、B運転の自動車で、乙山に到着した。

(五) Aは、乙山屋外で被告人と会ったが、被告人が衣服等に血を付けているのを見て、「どうしたんや。」と尋ねたところ、被告人が「死んでしまったかも知れん。この前誘おうとした中学生の女や。」と答えたため、これを匿うべく、Nらとともに、乙山から友人H子の住む福井市《番地省略》のアパート「メゾン丙川」(以下メゾン丙川という。)に赴いた。このとき被告人はシンナー吸引のためろれつが回らない状態であったが、かねて取引が予定されていた覚せい剤のことが気になっていたAは、NとH子に被告人の面倒を見させた。Nは、その後メゾン丙川を出てから乙を呼び出し、福井市内を自動車で走っていたところ、警察官の検問にあっている。

(六) Aは、エレガント甲野の自宅に帰った後の同日午前三時ころ、Oから、覚せい剤を取りに来るよう電話連絡を受けたため、指示された場所に覚せい剤を取りに行って戊田会に赴いたのち、Gとともに、組事務所のキャデラックでメゾン丙川に戻って被告人に会い、なおもシンナーを吸引し続けていた被告人に注意するとともに、三〇分ほどしたらエレガント甲野まで来るよう指示を与えた。

(七) 被告人は、同日午前六時ころエレガント甲野までスカイラインを運転して来た。その後Aの指示で同所で、被告人はシャワーを浴びた後、衣服を借りて同所で就寝したが、その間「ギャー」、とか「ウワッー」と大声を出す等し、うなされていた。

(八) 同日午後三時ころAは、被告人を自宅まで送って行ったが、その間被告人は、Aに対して犯行状況について説明した。

2  原判決中無罪部分の理由の骨子

(一) 原判決は、本件殺人は、犯行後約四時間が経過して発見されたもので、目撃者等犯行の具体的、詳細な態様を明確にする証拠がなく、また、犯行と被告人とを結び付ける的確な物的証拠もないので、結局、事件発生直後から翌二〇日早朝にかけての被告人の言動等についての関係者の供述の信用性如何が最も重要な問題点であるとの前提に立って、右各関係者の供述の信用性の判断を行った。総論的に、その供述の特徴として、第一に、前記Aをはじめ、B、N、G、H子、I子らの事件関係者は、いずれも覚せい剤やシンナー事犯等の犯罪歴ないし非行歴を有する者であって、本件取調べ当時別件の被疑者として捜査中であったり、本件発生時前後に被告人の行動に関わりを持ったとするその時点でもシンナーを吸入していたり、覚せい剤を使用していた者が含まれており、もともと捜査官側の意向に迎合し易い素地ないしは少なくとも捜査官側の意向にことさら反し難い素地を有していること、第二に、右各人の供述は、いずれも重要な点で変遷を来しており、変遷の経緯やその合理的理由の有無が重要であること、第三に、各供述の開始時期については、最初のAですら本件発生の約七か月後であり、それ以外の供述は、事件発生後約九か月以上経過した昭和六一年一二月から翌六二年一月にかけて初めてなされたものであること、第四に、各供述に係る関係各場所や車両からは、各供述を客観的に裏付けるべき、被害者のものと見られる血痕や被告人の当時の着衣等が一切発見されていないことの諸点を指摘した上、以上の諸点に鑑み右各供述の信用性については、特に慎重な吟味が必要であるといわなければならず、単に外見上供述内容が概ね一致するなどとして、それらの供述が相互に裏付けられていると即断することは危険であり、許されないと述べて、次に、各人の供述の検討に入り、以下の理由により、その供述の信用性を否定している。

(1) Aの供述については、その中に真実の部分が混在している疑いを否定できないとしても、確たる客観的裏付けが存在せず、また幾多の重大な疑問点によれば、同人は、殊更虚偽の供述または無責任を供述をしたり、あるいは体験していない事実を真実のように供述する性癖を有しているとも考えられ、結局、被告人が本件犯人であるとの同人の供述については、その信用性を肯定することは到底できないとする。

(2) Bの供述については、Aの供述を前提とした取り調べに迎合してなされた疑いを否定できず、また、供述の核心部分について確実な裏付けが存しないこと、同供述に沿うと見られるAの供述は前記のとおり信用性が認められず、Nの供述も後記のとおり直ちには信用し難いものであることを総合すると、全幅の信頼を置くことは相当ではなく、被告人と本件犯人との同一性を認めるに足りる程の信用性を有するものではないとする。

(3) Nの供述については、二度の証言においてその供述内容が大きく食い違い、当初の第一次供述はもとより、メゾン丙川において血を付けた被告人を見たなどとする供述もその信用性に問題があるから、同供述によって、本件事件発生後、その着衣等に血を付けた被告人がBと共に乙山に来て、その後メゾン丙川に向かった事実を認めるに足りないとする。

(4) H子の供述については、供述の内容、変遷過程に疑問点が多く存在し、その他、他の関係者の供述同様客観的裏付けがないこと、取り調べ当時の同女の立場、年齢等によると、取り調べ警察官の意向に反し難い状況にあったものと思料されることの諸点に徴し、その信用性を肯定することはできないとする。

(5) Gの供述については、重要な点で変遷しており、その変遷に合理的理由が存しないこと、証言自体にあいまいないし不自然な個所が見られること、関係者の供述とも矛盾する個所があることの諸点に徴すると、同証言の信用性を肯定することはできず、また、A等関係者の供述の信用性を裏付けるものとも到底いい難いとする。

(6) I子の供述については、あいまいな個所があり、供述が大きく変遷し、供述内容も不合理である他、同女に対する取り調べ状況を併せ勘案すると、検察官調書についても、信用性を直ちに肯定することはできず、AやGの供述を裏付けるものとみることは相当でないとする。

(二) 被告人と被害者との関わりを示す接点の有無については、被告人に対し、被害者の名前や電話番号を教えたとするMの証言は、その内容自体や証言を裏付ける物的証拠ないし人証がないなど、信用性を減殺する事情があって、全幅の信頼を置くことは相当でなく、同証言をもって、被告人と被害者との接点の存在を裏付けることはできず、被告人が被害者方の電話番号を記載した手帳を所持し、また被害者との間に肉体関係があったことをAに話したとするAの供述もまた、前記のとおりその供述全体が信用性に乏しく、供述の変遷及び裏付けが全くないことなどからみて、信用できず、結局、本件発生以前における被告人と被害者との接点の存在については、証拠上、これを認めるに足りないとしている。

(三) 事件発生後被告人が知人に本件が自己の犯行であることを示唆するような言動をしたことについては、同事実が認められるとしてもこの種の言動については、一般市民としての関心事項ないし本件事件発生当時シンナーにたんできしており、しかも本件に関して捜査の対象となった者が心許せる友人に不安な心理状態を吐露した表現であるなどの多義的な解釈が可能であって、本件犯人ではない者の発言としては了解不可能と断定することはできないとする。

(四) 毛髪鑑定については、指紋のように絶対的に個人を識別することはできないが、各種の手法を総合利用することにより、条件次第では、対照資料の由来の同一をかなりの確度で示すことはできるものの、絶対確実なものではないから、鑑定結果のみを唯一の決め手として判断を下すことは危険であって許されないというべきであり、あくまでも個人識別にあたって有力な補助的役割を果たすものと解すべきであるとの前提に立って考察し、原判決は、本件犯行現場から採取した毛髪のうち二本が被告人の毛髪と同一であると考えられるとの佐藤元他一名作成の鑑定書及び証人佐藤元の原審公判証言(以下佐藤鑑定という。)の結論は、直ちに採用できず、また、右二本の毛髪と被告人の毛髪とは、少なくとも資料の由来を異にするという結論を導いた木村康作成の鑑定書(以下木村鑑定という。)については、その手法自体の有効性を排斥することはできないので、同鑑定の結論を直ちに否定することはできず、さらに、右二本の毛髪が現場に遺留された時期は確定できないし、右二本の毛髪が被告人のそれであるとしても、本件犯行自体との直接的結び付きが明らかでないことなどからして、これをもって本件殺人の犯人と被告人との同一性や関連性を直ちに認めることはできず、本件においては、犯人と被告人との同一性を裏付ける物証は存在しないとしている。

(五) 以上に基づき、原判決は、被告人が本件殺人の犯人であると認めるに足りる証拠はなく、犯罪の証明がないとの結論に至ったものである。

三  事件及び捜査の概要

関係各証拠によれば、本件事件及び捜査の概要は、以下のとおりであると認められる。

1  事件の概要

(一) 事件の発覚及び犯行時刻の特定について

本件被害者の実母F子は、昭和六一年三月二〇日午前一時三〇分ころ、勤務先から、丁原団地六号館二三九号室の同女方に帰宅し、奥六畳間に入ったところ、頸部に包丁を突き立てられて血まみれで倒れている被害者を発見し、その死亡を確認した後直ちに一一〇番通報した。これを受けて所轄の福井警察署員が右現場に駆けつけ、他殺と断定され、本件捜査が開始された。

右二三九号室の階下の住人らは、前日の一九日午前九時三〇分ころから同四〇分ころにかけて、右二三九号室内で人が争い、格闘した際に発生したものと見られる大きな物音を聞いており、被害者の解剖による死亡推定時刻や右二三九号室への電話の応答状況からしてもそのころが犯行時刻と認められる。

(二) 現場の位置及び二三九号室の間取り等について

丁原団地は、JR福井駅から西北西約三キロメートルの場所に位置し、約一万八〇〇〇平方メートルの敷地内に五階建ての八棟の集合住宅が建ち並び、右六号館は、同団地のほぼ中央に位置する。

現場である二三九号室は、二階にある一〇戸の西から三戸目の三DKの居宅であって、鋼鉄製外開きドアの玄関を入ると、玄関コンクリート土間及び玄関板の間と続き、居宅東側には、北から順に便所、浴室、台所、四畳半和室が、同西側には、北に四畳半和室、南に六畳和室がある。

(三) 発見時における現場室内及び死体の状況について

(1) 被害者の死体は、前記奥六畳間において、隣室の東側四畳半間寄りの位置に頭部を南南東に向けて右六畳間に敷かれた電気カーペットとその上敷の上に仰向けに倒れており、同カーペット用上敷の端が被害者の左腕と左足に巻きつく形でめくれ上がり、同室内にあったこたつカバー及び東側四畳半間にあった掛け布団等が被害者の右肩から顔に掛けられていた。

被害者の顔面、頭部からは血液が主に南側に向かって飛散し、その頭部や顔面が位置していた付近には、流れ出た大量の血液が付着していた。死体の傍らには、着用のスカートに覆われて、刃体が付け根から折れ曲がった文化包丁一本(平成二年押第二六号の3)が放置され、死体の右頸部には他の文化包丁一本(同押号の2)が突き刺さっており(F子が発見時にこれを抜き取ってこたつ台上に置いた。)、右こたつカバーには約三〇個所にわたって、表面から裏面にかけて刃物が突き抜けたことによる損傷痕があった。

更に、ガラス製灰皿(同押号の1)が、死体頭部東側直近に血が付いたままの状態で遺留されており、同六畳間南西側に設置されているステレオセットのスピーカー上に置かれた人形ケース内の人形が倒れ、同ステレオセットのガラス戸上部の止め金が外れ、同ガラス戸は外部から圧力が加わったことにより内外にずれた状態になっていた。また、電気カーペットのコード(同押号の4)が死体の上半身に巻き付いており、そのほぼ全面に血が付着していた。

被害者方の各部屋には物色された形跡が認められず、また、被害者の着衣や下着類には乱れが認められなかった。

(2) 特異な血痕の付着個所等について

右六畳間やその東側四畳半間以外では、台所流し台下の包丁差しの扉内側に被害者の血液型と同じO型の人血痕が指先で擦ったような形状で付着していた他、玄関ドア内側のドアチェーン左側とドアノブ下部にそれぞれ血痕が付着していた。このうち、ドアチェーン左側に付着したものはO型の人血であったが、ドアノブ下部のものは、人血であることは確認されたものの、微量のため血液型を判定するまでには至らなかった。

更に、本件犯人が犯行後血で汚れた手等を被害者方で洗ったとすれば、その場所として考えられる浴室内の洗面器内やその床面等からは血液反応がなく、また同様に台所流し台の水槽にも血痕等はなかった。

(3) 凶器と考えられる物件について

前記包丁二本は、F子が出勤するまではいずれも台所流し台下の包丁差し内に保管されていたもので、犯人が持ち出したものと考えられる。同包丁差し内側扉に認められた前記血痕については、本件犯人が同所まで包丁を取りに来た際、その指先に付いていた被害者の血が付着したものと考えられる。

また、前記ガラス製灰皿は、奥六畳間南西側に設置されたステレオセットの上に置かれていたものである。

(4) 指紋や足跡痕等について

被害者方からは合計七六個の指紋が検出されたが、その内対照可能な二一個は、いずれも被害者、交友者、家族らのものと一致し、犯人特定に結び付く指紋は発見されなかった。

また、足跡痕(素足で紋様が付いたもの)も合計一四個発見されたが、犯人特定に結び付くものはなかった。なお、血の付いた靴下痕や素足痕は発見されなかった。

(四) 死体の状況及び凶器並びに死因等について

(1) 損傷の状況について

死体後頭部に出血を伴う裂創五個が、右顔面から右側頭部にかけて長さ約一八センチメートル、幅約一五センチメートルの皮下出血一個が、眉間部に大豆大の表皮剥脱二個があり、これらの損傷のため、頭蓋冠から頭蓋底に至る骨折、大脳上面にくも膜下出血、大脳底面に脳挫傷六個等が生じていた。

右顔面には、刺創または刺切創一三個及び切傷一一個が、右頸部には、刺創または刺切創三個及び切創五個等があり、これらの損傷のうち、右頸部の創管の長さ約五センチメートルの刺切創は、右頸静脈、舌骨を切断し、甲状軟骨を貫通して咽喉内に達していた。

右側頭部に刺創二個、左顔面に刺創三個及び表皮剥脱一個、前頸部に刺創及び切創各一個、右頸部に表皮剥脱二個、右上肢に切創二個、右下肢に皮下出血一個等があった。

頸部には、これを一周し、表皮剥脱を伴っている蒼白陥凹部(索溝)があり、前額部、眼周囲及び口周囲の皮膚、眼結膜、心臓、肺及び胸腺の表面には、多数の溢血点が認められた。

(2) 凶器について

頭部、顔面、頸部及び胸部の各切創や刺切創の成傷凶器は、刀背のある細長い有刃器であり、顔面、頸部、胸部及び右上肢の各切創については、右と同一または同種の凶器によっても生じうるものと認められ、前記包丁が該当するものと考えられる。頭部や顔面の裂創、挫裂創及び表皮剥脱、右頭部、右顔面、右下肢の皮下出血は、それぞれ鈍体が強く作用して生じたもので、前記灰皿が該当するものと考えられる。

頸部を一周する索溝は、それほど柔らかくない紐状の物体で強く締められて生じたものであって、前記電気カーペットのコードが考えられる。

(3) 死因について

被害者の死因としては、右頸部の刺切創に基づく失血、右前額部や後頭部の打撃による大脳の挫傷及び絞頸による窒息等の三つが考えられるが、これらのいずれもが単独で死因となりうるし、二つ以上の死因が組み合わさっても死因となりうるものである。

(4) その他

被害者の血液型は、O・MN型であり、膣内容中には精子の存在を証明できなかった。

(五) 犯行の具体的態様について

前記室内の状況、死体の損傷状況及び死因等からみて、本件犯行の具体的態様は、被害者の頭部、顔面等を前記灰皿により数回強打し、前記電気カーペットのコードで被害者の頸部を締め付け、二本の文化包丁で被害者の顔面、頸部、胸部等を多数回にわたり、めった突きにしたものと認められる。

(六) 以上の事実から推認される犯人像及び犯行直後の犯人の行動や状態について

(1) 前記のとおり、本件犯行に用いられた各凶器は、全て被害者方にあったものと認められ、また後述のとおり、本件犯人は被害者の返り血を身体等に付着させたまま逃亡したと認められることをも併せ考慮すると、本件は計画的犯行である可能性が低く、偶発的、突発的な犯行であると考えられる。また、被害者方の各部屋には物色した形跡がなく、被害者の着衣等に乱れもなかったことなどから、物取りやわいせつ目的の犯行ではないと見られる。

(2) 本件犯人が、一名であるのか、複数人であるのかについては、これを確定するに足りる客観的証拠は存在しない。

(3) 被害者は、従来、夜間一人で留守番する際には、玄関ドアを施錠するのを常としていたので、事件当夜もそうしていたと推認されるから、本件犯人は、被害者と顔見知りの人物であり、被害者が夜間は一人でいることを知っていた可能性を否定できない。

(4) 前記の犯行態様、死体の損傷状況及び台所流し台下の包丁差し扉内側と玄関ドア内側に存した各血痕付着状況に徴すると、本件犯人は、その指先などの身体の露出部や着衣に相当量の返り血を付着させたことを推認することができ(ただし、玄関ドア内側のノブ下部の血痕については、被害者を発見してそのそ生に努め、隣家に助けを求めるため室外へ出たF子がこれを付着させた可能性を否定できない。)、また、前記のとおり、本件犯人が現場で手などの身体に付着した被害者の血を洗い流した形跡がないことからすると、本件犯人は、身体や着衣に相当量の血を付着させたまま、現場から逃走したと認められる。

2  捜査の概要

(一) 捜査の開始及び行き詰まり

福井警察署では、本件発覚後直ちに捜査本部が設けられ、現場における鑑識活動や、現場や周辺における遺留物件の探索により、有力な物証の発見に努める一方、F子や被害者の友人及び周辺の住民に対する広範囲な聞き込み捜査を実施した。

同時に本件殺害手段が前記のとおり異常に残虐性を帯び、かつ執拗な犯行態様であったことから、精神異常者や覚せい剤、シンナー等の薬物乱用者による犯行の可能性があると判断し、リストアップした個々の者に対し、被害者との接点、アリバイの有無等を中心に捜査を行った。

その間、昭和六一年四月には、シンナー事犯の前歴を有する被告人も捜査の対象となり、被告人やその母親に対して事情聴取が行われたが、被告人が本件犯人であるとの疑いを抱かせる事情は判明せず、一旦は容疑の対象から外された。

以上の捜査にもかかわらず、結局、犯人を特定するには至らず、捜査は行き詰まった。

(二) Aの供述とその裏付け捜査

そのような中、捜査本部は、昭和六一年一〇月下旬ころ、シンナー吸引の前歴を有し、当時、覚せい剤取締法違反、窃盗の容疑で福井警察署に逮捕、勾留されていたAに対し、本件に関する事情聴取を試みたところ、Aは、「三月二〇日早朝に、エレガント甲野に被告人が一人で来たが、その際、胸辺りや靴に血を付けていた。」などと供述したので、本件との関係を明らかにするため、より詳細な事情聴取を実施するとともに、供述の裏付け捜査を実施した。

その後、Aは、「三月一九日夜、乙山でゲームをしているときポケットベルが鳴ったので暴力団戊田会に電話すると、Gから、『B』という人物から電話があり、その人物がAを探している旨を聞き、Gに乙山の電話番号を教えた。その後乙山にLから電話があり、『被告人が気狂ったようになって、人を殺した、と言っている。どうしたらいいか。』と言ってきたので、乙山に来るよう伝えたところ、Lが被告人を連れて白色の乗用車でやって来た。そこで、被告人を一たんメゾン丙川のH子方に匿った後、エレガント甲野に来させて着替えをさせたりした。」と供述を発展させ、その裏付け捜査を実施したところ、右供述内容に沿うH子やI子の各供述が得られたので、捜査本部は、昭和六一年三月二〇日午前零時過ぎころ被告人がその着衣等に血を付けていた事実が十分認められ、被告人が本件犯人である蓋然性が高いと判断した。その間、Lに対しても任意で取り調べを実施したものの、本件当夜から翌日にかけて被告人と行動を共にしたことはないなどとAの供述内容を強く否定したため、同年一二月一四日、同人を犯人蔵匿の容疑で逮捕した。

Lは、逮捕後も一貫して否認を続けていたところ、捜査本部は、Aの前記供述に登場する、Lが被告人を乙山まで乗せてきたという白色の普通乗用自動車の特定に努めた結果、K所有の白色スカイラインが捜査線上にのぼり、本件当日ころ、右Kが同車をBに貸与した事実が判明し、同年一二月一九日に同車を押収した上、翌二〇日、同車内の検証を実施した結果、助手席ダッシュボードの下付近から被害者の血液型と一致するO型の血痕が発見された。

そこで捜査本部は、同車と本件との関連性が高いと判断して、Lを同月二六日に釈放するとともに、Aを追及すると、同人は、「BをLであると記憶違いしていた。途中で記憶違いに気付いたが、Bは暴力団との関係があるので、本当のことを言いにくかった。被告人を乙山に連れて来たのはBである。」と供述を訂正した。その結果、捜査本部では新たにBに対して事情聴取を実施したところ、Bは、当初は否定したものの、結局、「三月一九日夜、K所有のスカイラインに乗って被告人と丁原団地まで行き、被告人は、一人で車を降りてどこかへ行き、しばらくして帰ってくると、興奮した様子であり、右手に血が付いていた。」ことなどを供述するに至った。

また、被告人と交際のあったMに対する取り調べの結果、昭和六一年二月下旬ころにMが被害者の名前と被害者方の電話番号等を被告人に教えたとの供述を得て、捜査本部としては、これによって被告人と被害者の接点の存在も裏付けられたと判断した。

(三) 被告人の逮捕及び取り調べ等

以上の捜査の結果、捜査本部は、昭和六二年三月二九日、被告人を本件犯人として殺人罪の容疑で通常逮捕し、被告人に対する取り調べを実施したが、被告人は、一貫して被害者との接触や本件犯行を否認した。福井地方検察庁検察官の請求に基づき勾留期間満了直前の同年四月一八日、精神鑑定のため被告人の鑑定留置がなされ、その後、同年七月一三日、同検察庁検察官は被告人を本件殺人の罪で起訴した。

その間、詳細な鑑識の結果、同年六月ころには前記スカイライン内で発見された血痕は、被害者とは別人のものであることが判明したが、他方、同年五月二二日付けで警察庁科学警察研究所に嘱託された犯行現場から押収された前記電気カーペット用上敷に付着していた毛髪様のもの九九本(平成二年押第二六号の8はその一部)と被告人の頭毛等(同号の10はその一部)との異同識別については、本件起訴の直前である同年七月六日付け佐藤元他一名作成の鑑定書をもって、右九九本のうち二本の頭毛が被告人のものと同一であると考えられるとの鑑定結果が得られた。

四  当裁判所の判断の骨子

本件殺人については、被告人の自白も明らかな物証も犯行の目撃者もなく、被告人と犯行とを結び付ける証拠は、本件発生時ころ、または、その後短時間の内に、犯行現場付近その他で着衣等に血を付着させた被告人の姿を見たとか、被告人から本件犯行の告白を受けたとの、被告人と交遊関係のあった複数の関係者の供述のみであるので、これらの供述内容を慎重に検討吟味することによって、被告人が犯人であるか否かを判断せざるを得ない。

原判決は、これら関係者は、これまでに犯罪歴ないし非行歴があり、現に本件当時もシンナー、覚せい剤との関わりを有していたことを重視した結果、これら関係者には、基本的に捜査機関に迎合ないし少なくとも抗し難い素地があるので、その供述の信用性については、特に慎重な吟味が必要であるとして、その供述の信用性については、特に慎重な吟味が必要であるとし、単に関係者間で供述が合致しているからといって、直ちに信用性が認められるものではない旨の一般論を判示した上、被告人が犯行を犯したとする関係者の供述内容には、変遷や食い違いないし矛盾があり、結局その供述には信用性を認めることができないとして、被告人を無罪としている。

しかしながら、当裁判所は、前述の主要関係人の供述内容及び変遷状況を慎重に検討吟味した結果、その供述には、なるほど原判決の指摘するように変遷、関係人間の供述の食い違いないし矛盾点が存するものの、それらは些細な点において認められるに過ぎず、事案の核心に関する供述内容の大要は一致していて、全体としては信用性を認めることができ、原判決及び当審において新たに弁護人がそれぞれ指摘した問題点は、供述者らの犯罪歴、シンナー、覚せい剤との関わり等を考慮しても、いまだ右各供述の信用性に疑いを抱かせるものではないと判断した。そして、これら信用性を肯定できる関係者の供述によって認められる次の事実、すなわち昭和六一年三月一九日の犯行当夜、本件犯行時刻と推定される時刻に近接した時間帯に、被告人が本件現場である丁原団地六号棟付近で降車し、約二〇ないし三〇分経過後着衣等に血を付着させて戻って来たこと、その後被告人は、自動車で同団地を出て以降、親威知人を頼って福井市内を移動し、車内等で犯行を告白するなどしたため、翌二〇日午後にかけて関係者により、同市内のアパート等で匿われていたこと、その間多くの関係者が、被告人が着衣等に血を付着させていたのを目撃したこと及び被告人はその後も自己が犯人でなければ説明がつかないような言動にでていたこと、被告人と被害者は、本件犯行以前に少なくとも面識があったと考えられること、加えて、本件の捜査経過及び被告人が本件犯行から推認される犯人像からはずれるものではないこと、さらには被告人にアリバイがないこと等を総合勘案した結果、被告人が被害者を殺害したことに合理的な疑いはなく、被告人は有罪であるとの判断に至ったものである。

第二各論

一  本件犯行当夜における被告人の目撃者等の供述について

1  Bの供述について

(一) Bと被告人との関係

Bは、Aとは元同じ暴走族仲間であり、同人を通じて六歳年下の被告人と知り合ったものであり、昭和六一年当時は、A及び被告人とともに、シンナーを吸引する関係であった。

(二) Bの供述について

(1) 捜査段階(証人尋問としてのものを含む)及び原審公判廷における供述の要旨

被告人と共に丁原団地内路上に赴いた経緯については、「昭和六一年三月一九日夜、自宅に呼んだか自宅近くの花月橋南詰辺りで拾うかして、午後九時前ころ、タクシーで友人のK方に行って同人から白色のスカイラインを借り、同車に乗って丁山自転車商会に行き、ゴム糊を購入した後、同九時二〇分ころ、エレガント甲野前に行った。同所で、被告人と会い、一斗缶をA方から運んできてスカイラインに積み込み、被告人を車に乗せて丁原団地に向かった。被告人の指示により同団地の中で車を停めた。」というものである。

その後の被告人の行動とくに被告人の身体に付着した血痕を目撃し、被告人から本件犯行を打ち明けられた状況などについては、「被告人は、『行ってくるでちょっと待ってて。』と言って車を下りて後方に行き、二、三〇分経ったころ荒い息遣いで後方から帰ってきて助手席に乗り込んだ。しばらくして車内で室内灯をつけて被告人にトルエンを注いでやると、その右手の甲や指先にぬれた血がべっとり付いているのに気付いた。その後、被告人に頼まれて江守の里の被告人の義兄Y方に行ったが、留守だった様子であり、今度はAと会いたいということでエレガント甲野へ行ったが不在であったので、被告人はAと連絡を取ろうとしていた。その際、被告人の胸全体に血が付いているのに気付き、ひどいけんかやったんやな、と声をかけると、被告人は、『逆らうと腹立たんか。逆らうから悪いんや。中学生の女を刺したんや、殺してもたんや。』などと言って本件犯行を打ち明けた。Aと連絡が取れた被告人から北陸高校まで行ってくれと頼まれて、同校前付近に行くと、Nが待っており、同人の案内で乙山へ行き、Aと会った。その後N運転の前記スカイラインに乗って同所を出発したと思うが、以降のことはシンナーの影響により記憶がない。」というものである。

(2) 当審における供述の要旨

被告人と共に丁原団地内路上に赴いた経緯については、「(昭和六一年三月一九日夜)A'のもとへ丙原タクシーを利用して遊びに行ったが、不在であったため同タクシーで帰宅した。次いで、流しのタクシーを拾ってK方へ行き、同人から白色スカイラインを借り受け、同車を運転して、丁山自転車商会へ立ち寄ってゴム糊を購入し、シンナーを吸入するためAを訪ねてエレガント甲野前路上へ行った。同所で被告人と出会い、被告人から、「A君のとこあかん。いい場所があるから。女の子の部屋や。』と言われ、シンナー入り一斗缶を同車のトランクに積み、被告人を同乗させて同所を出発し、被告人の案内で進行した。途中菅谷公園で一時停車し、被告人と共に一斗缶から一リットル瓶にシンナーを移し替え、被告人の案内で同所から丁原団地六号館西側道路まで進行させて、同車を停車させた。」というものである。

次に、被告人の身体等に付着した血痕を目撃し、被告人から本件犯行を打ち明けられたこと及びその間の行動経過にについては、「同所で同車を停車後、被告人が、『見てくるわ。』などと言い残して降車して行くので、シンナー吸入場所の確保のために知人の女性の所へ交渉に行くものと思って、同車内で待機した。被告人が二、三〇分後、息遣いを荒くして立ち戻り、『あかんかったわ。』と言うので助手席に乗せたが、被告人が広げたビニール袋にシンナーを注いでやる時に、被告人の右手の甲に新しい血痕が付着しているのを見た。被告人に対し、『どうしたんや。』と問いかけると、被告人は、『やってもうた。』と言ったが、けんかでもしたのかと受け止めた。被告人から、『お兄さんのところへ行ってくれ。』と頼まれ、被告人が自己の後輩であるYの下へ行って相談すると思い、被告人の指示するとおりの道順で初めてY方へ行き、被告人は降車したもののYが不在であった様子で、さらに、同車へ戻った被告人から、『Aの所へ行ってくれ。』と頼まれ、エレガント甲野に向かった。走行中の車内で、被告人は『あいつが悪いんや。馬か野郎。』などとぶつぶつ独り言していた。エレガント甲野前で停車したが、Aは不在であり、被告人が、二回以上乗降車を繰り返してAと連絡を取るための電話をしていたが、その間、車内でシンナーを吸いながら、被告人の様子を見た際、その胸元にも血痕が付着していることに気付いたところ、被告人から、『逆らうと腹立たんか。逆らうで悪いんや。ほんでやってもうたんや。女の子をやってもうたんや。』などと打ち明けられた。けんかをして話を大きくしているかシンナーで幻覚でも見たのかなあと思うとともに、余り関わり合いになりたくないと思った。」というものである。

さらに、当審前の供述の経緯及び変遷の理由については、「昭和六一年一二月下旬ころから同六二年一月下旬ころまでの間に、警察官の取り調べを一〇回位受けたが、その時点では、本件事件当夜、被告人と行動を共にした覚えはない旨述べて事実を否定し、さらに、被告人と一緒に行動したが、丁原団地へは行かず、菅谷公園で同車を停車させると、被告人が降車して前方へ歩いて行き、その後、前方から帰って来たとか、被告人から『A君の所へ行ってくれ』と言われたが、これに応ぜず、被告人と共に自宅へ行き、被告人に同車を貸したなどと事実に反する供述をした。それは、当時自分が執行猶予中の身だったし、子供が生まれるまで、関わり合いになったら自分もぱくられると思って、初め知らぬ存ぜぬと言っていた。しかしながら、やはり女性一人が亡くなっている事件なので、女の子が浮かばれないと思い、犯行現場へ行っていなければ逮捕されない趣旨を取り調べ警察官から言われたこともあって、正直に言おうと思って事実を供述するようになった。また、事実を供述するようになった当初の上申書で、エレガント甲野から北陸高校へ向かう車内で、被告人から、『Nという男が待っているから。』と言われた事実に反し、被告人から、『男が待っているから』と言われ、二〇歳位の初めて見る男を同乗させた旨記載して提出したが、それは余り人の名前を出したくなかったからである。その後、やはり具体的事実として『N』の名前を出し、正直に話すようになった。同じく、当初の上申書で、エレガント甲野での被告人の着衣の血痕付着状況につき、胸元と膝に血痕が付いていると思ったものの、余り確信が持てなかったので、その後、膝のことは言っていない。記憶が減退している点もあるが、当審において、自己の体験した一連の行動経過をありのまま証言した。」というものである。

(三) 供述の評価

Bは、捜査の当初こそ、事実の一部を隠して供述していたものの、その後の供述は捜査、原審公判を通じ、大筋において一貫しており、その内容が、客観的証拠ないし他の関係者の供述、証言によって裏付けられており、信用性が認められる。

すなわち、丙原タクシー有限会社の運転手B'の司法警察員に対する供述調書並びにこれに添付された同人作成の運転日報及び丙原タクシー有限会社の操配表などによれば、Bが本件犯行のあった三月一九日の夜、同社のタクシーを利用してA'方まで行き、同人が不在であったため、そのまま同タクシーで自宅まで戻った事実が、Kの原審公判廷における証言及び同人の作業日報等によれば、BがKからスカイラインを借りた事実が、C'の原審公判廷における証言によれば、Bが、本件犯行が敢行された日時ころ、丁原団地六号館西側道路にスカイラインを停車させていた事実がそれぞれ裏付けられている(弁護人は、C'の原審公判廷における、そのころ、Bが供述する場所に、丸型のテールランプを有する白色の普通乗用自動車が停車していたのを目撃したとの証言は、信用できない旨るる主張するが、いずれも同証言の内容に照らし採用できない。)。Bの供述のとおり、Yが昭和六〇年五月二〇日から福井市江守の里にある甲田コーポに居住していたこと、当時、Bは、被告人が「お兄ちゃん」と呼んでいるY夫婦が右甲田コーポに居住していることを全く知らなかったこと、被告人がAに連絡をとろうとしたことは、供述に出てくる電車通り(通称フェニックス通り)に出る右角の公衆電話の設置場所、当時戊田会事務所で事務所当番をしていたKの原審公判廷における証言、Aの供述、証言により裏付けられている。

また、Bの供述、証言は、丁原団地から戻ってきた被告人の状況につき、「まず、運転席側の窓のところに来て、自分がシンナーをしてたもんで袋を下げてはっと見たら、D君でしたのでウインドーを開け、どうやったと聞くと、あかんかったと言っていました。」、「息遣いが荒く、強い口調で言ってました。」、「うまく説明できないかもしれませんが、まあ一〇〇メートルほど走った後、急に走り終わったら、肩で息をするように、はあ、はあとなるような感じだったと、自分は記憶しています。」、「(被告人は、)車の前を回り、助手席に入ってきました。」、「まず自分のゴム糊を入れたビニール袋が効かなくなり、ゴム糊を加え入れようと思い、ルームランプをつけ、自分はゴム糊を入れてたらD君がビニール袋を手にしたので、注いでやろうと思い、自分がリッター瓶を持ったんです。」、「(被告人の)右手の甲から指にかけて(血が)付いていました。手の平は握ってビニール袋の端をつかんでるもんで、運転席から見えなかったのです。(血の状態は)まだ乾いてはいませんでした。まだ濡れていました。」、「どうしたんやって尋ねたんです。D君が、けんかしてもたんやって言ったんですけど。それで、けんかしたんやって言って、血が見えてましたもんで、自分は何ともないんけって言ったら、何ともないと言ったんです。」と、また、エレガント甲野前路上に戻ってきた時における被告人とのやり取り及び被告人の当時の状況について、「(被告人は)、何度か降り、電話してくるわと言って降り、前方斜め前に電話があるんです。その方向に歩いて行ったので、ああ、Aのところへつなぎをとるために電話をするんだなあと、自分は思いました。(そんな乗り降りをしたのは)自分が思うのは四、五回だったと思うんですけど。」、「何度目でしたか、乗り降りする際に胸元にも血が付いていたので、ひどいけんかだなと思い、ひどいけんかだったんやなとDに言いました。逆らうと腹立たんかと尋ねてきたので、おう腹立つと自分は答えました。そしたら、逆らうで悪いんやって言っていました。」、「それから、あの女刺したとか、なんや、中学生の女を刺したとか、何か訳の分からんことを言っていたので、幻覚の世界に入っているか、まあ、一つのことを一〇位に言うているんだなあと思いました。」、「(血の付いているのを見たのは)シャツです。(胸の辺りに)何か、雪玉をぱっと投げるとぱしゃっとはじくでしょう。ああいう感じだったと思います。自分はここ(胸元)一面に(血が)付いているとしか記憶にありません。」と供述している(以上原審第三回公判廷)が、これらの供述は具体的で臨場感にあふれ、迫真性がある。

また、当審における供述は、原審における供述を維持しその内容において異なるところはなく、捜査段階における供述とも符合していて信用できる。

(四) 原判決の提起する疑問点に対する判断

(1) 供述の変遷について

① Bの供述は、昭和六二年一月二六日付け司法警察員に対する供述調書では、丁原団地敷地内に入っておらず、被告人の右手甲や指の血に付いた後、被告人からAの所へ行ってくれと頼まれたが、これを断り、すぐ自宅に帰ってそこで被告人に車を貸与したというものであったが、同年二月一日付け上申書では、丁原団地敷地内に入り、被告人が車に帰ってきてから、江守の里、エレガント甲野、乙山の順に走行したとし、同月六日付け上申書では、エレガント甲野前で、被告人から本件犯行を打ち明けられたというように変遷し、同月一〇日付け司法警察員に対する供述調書以降は、前記の供述要旨のとおりほぼ一貫している。

② 原判決は、Bは、当時、保護観察付き執行猶予期間中で、その取り消しを恐れて、事実を話せなかったというが、このような弁解は、丁原団地付近で車を停めた位置や被告人が向かった方向等について異なった供述をした理由としては納得させるものではない旨判示する。

しかしながら、Bは、当時、傷害罪により保護観察付き執行猶予に付されていたが、子供が生れることもあって、被告人と行動を共にしていたことを認めると、自らも何らかの刑責を問われ、服役を余儀なくされるのではないかと不安に思い、当初本件への関与を否定するなど捜査に非協力的な立場をとっていたのであり、このことは当時の同人の心境として何ら不自然でなく、納得できるものである。しかも、その供述の変遷も当初は関わりを持ちたくなかったため、丁原団地六号館の近くに行ったことすら否定していたのを、たまたま菅谷公園の近くでいったん停車してシンナーを瓶に入れ変えたという事実があったので、同公園の近くで車を停めたとの嘘の供述をしたと述べたというものでそれなりに了解可能であり、信用できる。また、被告人が歩いて行った方向についての食い違いは、車を停めた位置に関する供述が変わったことから生じたものであるから、その方向の食い違いは供述、証言の信用性を判断する上で決定的な事情にはなり得ない。

また、原判決は、被告人が丁原団地の方に行った後、車に戻って来るまでの間及び被告人の身柄をAに渡した後の供述がその他の供述と異なり、単に漫然と待っていたとか記憶がなくなったとかいうもので、不自然、不合理である旨判示する。

しかしながら、そもそもBは、一緒にシンナーを吸おうとの被告人の誘いに応じて丁原団地に赴いたものであり、「ちょっと待って。」と言って車から降りて行った被告人がシンナーを吸入できる場所を確保しに行ったと思ったBが、そのまま車内でシンナーを吸入しながら被告人の戻るのを待っていたという経過であれば、被告人が戻るまでの間の叙述が簡単になるのはむしろ当然であり、他面、被告人が車に戻ってきてからの出来事については、その時の被告人の異常な言動に加え、被告人にシンナーを注いでやった際、その右手に血が付着しているのを目撃したとの供述内容は、それがまた犯行直後における被告人の行動を裏付ける重要な事柄である以上、捜査官からの追及も入念になされたであろうと容易に想像されるところであり、いきおいその供述内容が詳細かつ具体的になるのもこれまた当然のことである。したがって、右供述内容の多少は、原判決のように不自然、不合理であるとして、供述の信用性を否定する要素とはなりえない。また、その当時、Bはシンナーを吸入していたのであるから、被告人をAらに引き渡した後は、安心感、開放感から記憶が薄れたとしても何ら不合理とはいえない。また、Bは、被告人をAに引き渡した後の行動は、メゾン丙川に赴いたことも含めて記憶にない旨一貫して供述、証言しているが、このことは、Bが捜査官に迎合することなく、記憶にあることとないこととを区別し、自らの記憶に残る事柄を供述、証言しているとみることができる。被告人が本件に関与しているとする供述部分の信用性までを否定するのは早計である。

③ その他の供述の変遷について

ア 北陸高校前で待ち合わせた男の特定について

原判決は、北陸高校前で被告人らを待ち合わせた男について、被告人から聞いた内容が「男」から「N」へと変遷しているが、そのような男についてことさら隠す必要はないから、右供述の変遷は不合理である旨判示する。

しかしながら、その当時、Bと「N」ことNとは初対面であり、待ち合わせた男がだれであるかは、それ自体さほど強く印象に残る事柄ではなく、記憶喚起に時間を要したとも見られるから、ことさらNの名前を隠したか否かは明らかではない上、Bが本件における自らの関与を否定した趣旨の供述をしていた理由は前記のとおりであるところ、関係者の名前を明らかにすると、B自身の関与がいずれ明らかになる恐れがあったといえるから、BがNの名前を当初隠していたとしても、そのことには合理性がある。

イ 江守の里からエレガント甲野へ向かう際の被告人の言動について

原判決は、江守の里のY方からエレガント甲野のA方へ向かう車内での被告人の言動に関するBの供述は、当初「あの女馬か野郎。」であったと述べていたのが、その後「あの女馬か野郎。」というような言葉があったような気がするが、自信を持って言い切れないところがあると変遷して一たん動揺したのに、再度「あの女馬か野郎。」と再び断定的なものに変わっているが、その間の経緯について何ら説明がなされていないのは、不合理である旨判示する。

しかしながら、このような変遷、動揺は、むしろ当該供述者が、自己の記憶に従い、忠実かつ正確に証言しようとすればするほど起こり得ることで、何ら不自然とはいえない上、右変遷を見ても、被告人の言動についての供述の一貫性は保たれているから、供述の基本ないし核心部分の信用性に疑問を生じさせるものではない。

ウ エレガント甲野前で目撃した被告人の血痕付着状況について

原判決は、エレガント甲野前で目撃した被告人の血痕付着状況については、当初膝にも血痕が付着していたとしていたのが、その後膝の血について触れず、かえって被告人のズボンに血が付いていたかどうかは分からない、というように不自然に変遷している旨判示する。

しかしながら、被告人の膝に血痕が付着していたというのは上申書のみであるところ、上申書は、あくまでもBが当時の記憶のままに自発的に記載したものであるから、その後捜査官からの追及により、記憶が不確かであるとして、ズボンに血液が付着していたか判然としない旨供述するに至ったからといって、その他のBの供述の信用性を否定することは相当ではない。

なお、弁護人は、B作成の上申書は、捜査官が用いる供述調書作成要領による六何の原則に則り、理路整然とした記載になっているが、当時のBの学歴からして、同人がこうした書面を作成することは不可能であり、右記載は捜査官の示唆によるもので、信用できない旨主張する。

しかしながら、作成の形式を捜査官が指導すること自体は何ら問題はなく、また、右上申書の内容及びその後の供述の変遷に照らせば、右上申書の記載内容が捜査官の示唆を受けて作成されたとは解されない。

エ 被告人から打ち明けられた犯行内容について

原判決は、Bは、被告人が本件犯行を打ち明けた際の状況について、当初は右上申書中に「あの女馬か野郎。」と独り言を言っていた被告人がBに対し「刺し殺したんや、あいつが逆らうで悪いんや。」と打ち明けたと記載していたに過ぎないのに、その後捜査官に対しては、「あいつって誰や」、「中学生の女や」と述べた旨本件被害者との結び付けを具体化、進展させて供述しているのは不合理である旨判示する。

しかしながら、右上申書の性格は前述のとおりであるところ、その後の捜査官の追及によって、Bが記憶を喚起され、供述を具体化させたと考えることは何ら不自然不合理ではない。

(2) 供述の裏付けとなるべき客観的証拠がないことについて

① スカイライン内の血液について

原判決は、Bの供述を前提にすれば、車の乗降を繰り返すうちに、被告人が付着させていた血がスカイライン内にも当然付着しているはずであるのに、スカイラインから被害者のものと考えられる血液反応が一切認められなかったことは、Bの供述の信用性に影響を与える旨判示する。

しかしながら、本件において、犯人が被害者を殺害後逃走する際には、被害者方の玄関ドアを開けているはずであるのに、玄関ドア内側のドアチェーン左側とドアノブ下部にはそれぞれ微量の血痕しか付着しておらず(なお、この血痕は、原判決指摘のように、被害者を発見してそのそ生に務め、隣家に助けを求めるため室外へ出たF子が付着させた可能性がある。)、ドア外側のノブ等には全く血痕が付着していなかったことに徴すると、犯人の衣服についてはともかく、犯人の手にさほど血痕の付着はなかったとも考えられ、また時間の経過により被告人の手に付着していた血が乾燥していた可能性があるから、車内に血痕が付着しなかった可能性もなくはなく、仮に、Bから同車を返還された時に、車内に血痕が付着していた事実はなかったとするKの原審証言が信用できるとしても、何ら不自然ではない。さらに、当該スカイラインが警察に押収されたのは本件が発生して約九か月後であり、その間所有者であるKは、月に三、四回はガソリンスタンドで洗車、車内の掃除を受けているから、仮に当初車内に血痕が付着していたとしても、それが右清掃によって消失した可能性もある。

以上のとおりであるから、スカイラインから被害者のものと認められる血液反応が検出されなかったからといって、Bの供述の信用性は左右されない。

② BがK方まで行く際に利用したタクシーについて

弁護人は、Bの供述によれば、三月一九日の夜Bは自宅からK方までタクシーを利用したことになっているが、右タクシーについては、捜査当局の捜査にもかかわらず、発見できなかったのであるから、右供述は信用性がなく、ひいてはBが同日Kからスカイラインを借り受けた事実も存在しないことになる旨主張する。

しかしながら、Bの供述に基づき同人が三月一九日利用したタクシーについての裏付け捜査が開始されたのは、本件発生後約九か月であり、しかもB自身当該タクシーの社名等を一切記憶していないのであるから、右タクシーが判明しなかったことは何ら不自然、不合理ではなく、当日BがK方に行く前にA'方に行った際に利用したタクシーについては前記のとおり、Bの供述に基づきその裏付けがとれていて、Bの供述の信用性を損なうものではない。

したがって、弁護人の右主張は理由がない。

(3) 供述内容の不自然・不合理性について

① 原判決は、Bは、被告人に、付着した血を洗い流すことを指示せず、被告人も交通量が多く人目に付きやすい電車通りの公衆電話に何度も電話をかけに行く等約三時間半の長時間にわたってこれを放置していたのは不自然である旨判示する。

しかしながら、もともと被告人とはそれほど親しくなく、しかも暴力団関係者で犯罪歴を有し、けんかや血を見ることに慣れているBが、被告人が血を付着させているのを目撃した上、エレガント甲野前で「やってもうたんや。」と殺人をほのめかされたからといって、それ以前の丁原団地六号棟付近では単にけんかをしたと聞いていたことから、それほど深刻に受け止めず、被告人がシンナーの影響で、物事を大きく言っており、本当に殺人を行ったとまで考えなかったあるいは考えたくなかったとしても、それは、何ら不自然、不合理ではない。当時、B自身もシンナーを吸入していて注意力が散漫になっていたと考えられる上、保護観察付きの執行猶予を付された身であり、自己の保身のためにも、少なくとも何らかのトラブルを起こしたであろう被告人との関わりをでき得る限り避けたい心理状態にあったこと、被告人もシンナーの影響があった上、YやAに連絡をとることに急な余り、注意力があったと考えられること、被告人が右の電話をかけに行った場所はなるほど電車通りではあるものの、時刻が深夜でもあったことに照らせば、被告人及びBの右行動もそれなりに理解が可能である。

② エレガント甲野前で初めて被告人の胸の血に気付いたとしている点について

原判決は、Bが被告人の右手の血に気付いたのであれば、同時に胸の血にも気付くのが自然であるから、エレガント甲野前で初めて被告人の胸の血に気付いたとのBの供述は不自然である旨判示する。

しかしながら、Bが当時被告人の身体状況にさほどの関心を有していなかったこと及び当時シンナー吸引の影響によって注意力が散漫になっていたことは前述のとおりである上、その時のBと被告人の相互の姿勢及び照明の状況等に照らせば、Bが被告人の胸の血に気付かなかったとしても、不自然ではない。

③ 被告人から本件犯人を打ち明けられた際の反応及び乙山に着いてからの行動について

原判決は、被告人から本件犯行を打ち明けられたBとしては、犯行の具体的状況を問い質すのが普通であるのにこれをしておらず、また乙山でAと会った際にも、同人から問い質されたという供述もないが、これは不自然、不合理である旨判示する。

しかしながら、Bがそのような行動に出なかったとしても、何ら不自然、不合理とはいえないことは、前記①で説示したとおりである。またAは、多数の犯罪歴を有する暴力団員であり、けんかや血を見ることにも馴れていたと認められるところ、後記のとおり被告人からの電話により殺人の告白を受けた時にも、シンナーによる幻覚で被告人が変なことを言っている程度に思っていたもので、その後、乙山の前で被告人の血だらけの姿を見て、被告人が本当に殺人を犯したかも知れないとも思ったが、被告人がシンナーにより酩酊していたので、被告人が落ち着いてから詳しい話を聞こうと考え、折から、Oとの覚せい剤の取引が間近に迫っていたことから、取りあえずH子方に被告人を匿うことにしたものであるから、その場で、AがBに対し事情を問い質さなかったとしても、なんら不自然でない。

また弁護人は、仮にBが同供述でいうように被告人と関わりになりたくないとの気持ちを有していたのであれば、丁原団地から甲田コーポを経てエレガント甲野に到着した時点で、被告人を降ろして立ち去るのが自然であるのに、その後も被告人と行動を共にしたのは不自然である旨主張する。

しかしながら、当時Bは、被告人がAと連絡を取りたがっていることを知っていたところ、BとAとは友人であったのであるから、少なくともAのために、BがAを捜す被告人と行動を共にしたとしても何ら不合理ではない。また当時被告人はシンナー吸引の影響を受けていた上、Bはこの時点では、少なくとも被告人が着衣等に血を付着させ、何らかのトラブルに関与したことは知っていたのであるから、このような被告人を一人で放置することは、Bが後日被告人と行動を共にしていた者として、右トラブルに関わり合いになるおそれがあり、かえって不都合を生じることになることが容易に考えられる。したがって、Bがその後も被告人と行動を共にしたことは何ら不合理ではないから、弁護人の右主張は採用できない。

④ 乙山に着いてからの記憶がないということについて

原判決は、乙山に着いてからのBに、それ以降の記憶がないのは不自然であり、むしろ関係者の供述が一致していないので、Bも、あいまいな供述をせざるをえなかったとみうる旨判示する。

しかしながら、Bの当時の生活態度に照らせば、当日の被告人とのやりとりもまた特異、非日常的なものとまではいえず、しかも前記のとおり、被告人と関わり合いになりたくないという気持ちで、自らもシンナーの影響で、物事の理解、判断力が低下していたBが、被告人をAに引き合わせ、車の運転をNと代わることによって、ようやく被告人との関わりから解放されるとの安堵感から、それ以後の行動についての記憶がなくなったことは不自然ではなく、これを関係者の供述に合わせるためにあいまいな供述をしたものと断ずることはできない。

⑤ 被告人からBに対する口止め等がなかったということについて

原判決は、被告人からBに対し口止め等の働きかけが何らなされなかったとされているのは不自然である旨判示する。

しかしながら、Bは、エレガント甲野前において、被告人から本件犯行を打ち明けられた際、被告人に対し、一緒にいたことを他人に話さないように告げており、事件に関わり合いになりたくないとのBの気持ちは、被告人も十分了解できたはずである。これに両者の前歴関係及び被告人は当時シンナー吸入の影響を受けていたことなどをも併せ考えると、被告人からことさらBに対し口止めをする必要はない状況であったと考えられる。

⑥ Y方の住所と秘密の暴露について

原判決は、被告人の義兄Yの住所については、当時捜査官側が探知していなかったとの的確な証拠はないから、Bの被告人と共にY方へ赴いたとの供述は秘密の暴露に当たらない旨判示する。

しかしながら、右捜査官側の認識はともかくとして、問題はBの右供述が信用できるかということであるところ、被告人から義兄Yの所へ車を運転して行ってくれとの依頼を受けたとするBの供述は、実際に体験した者でなければ供述できない具体的な事実である上、殺人を敢行した者が犯行後信頼しうる人物をあてにして行動することは犯人の心理として十分理解でき、虚構の事実であるとは認められない。

(四) 結論

以上のとおり、原判決及び弁護人が指摘する諸点は、いずれもBの供述の信用性を否定する論拠足りえず、その供述に不自然、不合理な点はなく、Bは、記憶にある事項とそうでない事項とを区別して供述しており、その内容は大筋において一貫していて、前記関係証拠によって裏付けられ、関係者の供述とも符合している。したがって、Bの供述は、信用性がある。

2  Aの供述について

(一) Aと被告人との関係

Aと被告人とは中学校の先輩、後輩の間柄で、シンナーを吸うなど親しく付き合い、元同じ暴走族に所属していたこともある。そして、Aは当時は暴力団戊田会に所属していたが、被告人とは昭和六一年二月ころの新潟県上越市における暴力団抗争に際し、その加勢のため、共に、上越市まで出かけた仲であった。

(二) Aの供述について

(1) 捜査段階及び原審公判廷における供述の要旨

右供述の最終的な内容は、次のとおりである。

被告人及びBが本件事件当夜、エレガント甲野に来た経緯については、「昭和六一年三月一九日午後九時ころ、被告人が、エレガント甲野へトルエンの一斗缶を取りに来たのでこれを渡した。その際、被告人は、Aに対し、女の所へ行く、Bもいるし一緒に行かないかと言って誘い、部屋から何処かへ電話し、相手の女性の声が聞こえた。被告人と一緒に外へ出ると、白色の普通乗用自動車スカイラインが停まっており、Bが運転席でシンナーを吸っていたが、同人には声をかけず、また当夜はOと覚せい剤取引の約束があったので、被告人の誘いも断った。」というものである。

その後、乙山へ赴き、被告人らと合流するに至った前後の経緯については、「エレガント甲野にいたが、暇なので午後一〇時から一一時ころP方に電話すると、旧知のNがこれに出たので、Nと会うことにし、Nを乗せたP運転の車で乙山へ行った。Pが帰った後もNと二人で同店で遊んでいると、ポケットベルが鳴ったので、戊田会事務所に電話すると、事務所当番のGが電話に出て、『今、Bというのから電話があって、居場所の電話番号を教えて欲しいと言っている。』などと言われ、乙山の電話番号をGに教えた」というものである。

次に、被告人の身体着衣に血痕が付着しているのを目撃し、被告人から本件殺人の犯行を打ち明けられたこと及びその間の行動経過については、「翌二〇日午前零時から午前一時の間ころ、被告人から乙山に電話があり、『人を殺してしまった。どうしていいか分からない。』などと言ってきたので、とにかく乙山まで来るように言ったところ、場所が分からないと言うので、北陸高校の所まで『N』を行かせておくからそこまで来いと伝えた。被告人は、その際、運動公園の方にいるようなことを言っていた。

Nに北陸高校近くの稲荷神社の所で被告人を待っていてくれと頼み、Nはこれを承諾した。その後しばらくしてNが乙山の入口でAを呼んだので、そこへ行くと、Nは、『とにかく、あいつ変なんや。血だらけや。』とか言った。乙山前に停まっている白色スカイラインの後部座席に乗り込んだところ、助手席に被告人が座っており、車内灯をつけると被告人は血だらけであり、その顔、首、上着、ズボン、手の外、シンナーの入った袋にも血が付いているのが見えた。そこで被告人に何をしたのか聞いたところ、被告人は、ろれつの回らない口調で何か言っており、はっきり聞き取れなかったが、この前誘おうとした女の子を殺してしまったとかいうのは聞き取れた。メゾン丙川のH子方に被告人を匿うことにした。」というものである。

そして、被告人らと共にメゾン丙川へ赴いた前後の経過については、「乙山に来ていたQの車スプリンターを借りてこれを運転し、Nに右スカイラインを運転させてメゾン丙川に行った。被告人を連れてメゾン丙川二〇一号室に入り、H子に『今けんかしてきてやばいので、しばらく匿ってやってくれ。風呂にも入れてやってくれ。』などと頼み、スプリンターで乙山に帰り、午前二時ころ、Qにエレガント甲野まで送ってもらった。その後、I子が帰宅し、午前三時ころ、Oから電話があり、乙川第二ハイツまで覚せい剤を取りに来るよう言われたので、丙山タクシーを呼んで同所に行った。覚せい剤取引を終えて午前四時前ころ同タクシーで戊田会事務所に行き、そこでGと会った。シャブが手に入ったので一発射ちに行こうとGを誘い、戊田会本部長の車キャデラックを運転してメゾン丙川に行った。その際、Gに対し、『被告人が人を殺したと言って血だらけになって来たんやけど、どうしよう。』などと相談した。Gは『本当か。大丈夫か。』などと言っていた。

メゾン丙川に着くと、Nは既におらず、被告人はシンナーを吸っていた。Gが被告人にお前人を殺したんかなどと聞いていたが、被告人は、いわゆるラリった状態で答えが返ってこなかった。その後、被告人に、三〇分位したらエレガント甲野に来るように言ってGとキャデラックでエレガント甲野へ帰った。」というものである。

次に、エレガント甲野に被告人が来た前後の経過については、「しばらくして午前六時か七時ころ、被告人がスカイラインを運転してエレガント甲野に来たが、顔や手の血は取れていたものの、血の付いた服はまだ着ていた。同所で、被告人に風呂を使わせたり、黄色いスウェットスーツを貸してやり、寝かせたが、被告人は大声でうなされていた。

午後三時ころ、被告人が起き、一緒に被告人方まで行ったが、その際、被告人から詳しい犯行の様子を聞いたが、被告人は本件で処罰された場合の服役期間を問うたので、精神異常だから大丈夫と答えておいた。その後、被告人の血の付いた衣類等を底喰川に捨てた。」というものである。

(2) 当審における供述の要旨

被告人及びBが本件事件当夜、エレガント甲野に来た経緯については、「本件事件当夜、エレガント甲野に在宅していたところ、被告人が前触れもなくやって来てシンナーの吸入を誘ったが、覚せい剤の取引を控えていたのでこれを断り、被告人にシンナー入り一斗缶を渡してやると、『女の子を誘える。』などと言って出て行った。エレガント甲野前には自動車(白色スカイライン)が停車しており、Bが乗車していたが声も掛けず、被告人とBは、同一斗缶を同車に積んで同所から出発して行った。」というものである。

次に、乙山へ赴き、その後、被告人らと合流するに至った前後の経緯については、「覚せい剤取引相手のOから取引が遅れる旨の連絡があったので、時間つぶしのため、D方へ電話を入れ、同人及びNをエレガント甲野へ呼び出し、同人らと共に自動車(ブルーバード)に乗って乙山へ行った。同所でゲーム中、ポケットベルが鳴り、戊田会事務所へ電話を入れると、応対したGから、DかBが自分の所在を探しているとの連絡を受け、乙山の電話番号を教えたところ、しばらくして被告人から電話が入ったので、同人を乙山に呼び寄せることとし、Nを北陸高校付近の稲荷神社前まで迎えに行かせ、同人の案内で被告人及びBは、自動車(白色スカイライン)で乙山前まで来た。その際、Bに『何あったんや。』と聞いたが、『何もねえ。』と言うだけであった。」というものである。

さらに、被告人の身体着衣に血痕が付着しているのを目撃し、被告人から本件殺人の犯行を打ち明けられたこと及びその間の行動経過については、「乙山でゲーム中、被告人から電話で『人を殺してもうた。どうしていいかわからん。』と言われて、同所へ呼び寄せたが、同車内には強いシンナー臭がし、助手席に乗車していた被告人が、その右大腿部、口元周辺、上着の胸元等に血痕を付着させているのを見た。その際、被告人に対し、『何あったんや。』と問いかけると『人殺してもうた。』というので、さらに、『誰を殺したんや。』と質問すると『女の子を殺してもうた。』と打ち明けられたが、被告人が本件殺人を犯したとまでは深刻に受け止めず、直前に覚せい剤を使用していたことから、身体着衣に血痕を付着させている被告人や、シンナー臭の充満する同車に関わっているところを警察官に発見されたら、自らの身も危険であることなどを念慮し、被告人を同所からH子方のあるメゾン丙川を連れて行くこととした。」というものである。

そして、被告人らと共にメゾン丙川へ赴いた前後の経過については、「乙山で、知人のQから自動車(茶色スプリンター)を借り受け、白色スカイラインとの二台の自動車で、同所から被告人、N、Bらと共にメゾン丙川へ行き、Bが入室したかの記憶は定かではないが、被告人、Nらと共にH子方へ入室した。在室したH子に対し、被告人がけんかをして血を付けているからシャワーを使用させて欲しい旨を告げたが、Oとの覚せい剤取引が気掛かりとなり、そのまま同所から、Bと一緒に、茶色スプリンターで乙山へ戻り、Qに送ってもらってエレガント甲野へ帰宅した。次いで、覚せい剤取引のため、同所から乙川第二ハイツまで丙山タクシーで行って、Oから覚せい剤を入手し、戊田会事務所へ立ち寄ってGを誘い、自動車(キャデラック)で同人と共にメゾン丙川へ戻った。その車中で、Gに、『今日、殺人事件あったんけ。Dが人殺してもうて血だらけになって来たんやけど。ほんで、今、H子の所へ置いてあるんやけど。』と言うと、同人は『ほんなもん、有る訳ねえ。関係ねえ。』と言った。メゾン丙川には、被告人とH子が在室し、被告人は、部屋のステレオの前に座って、シンナーを吸入していたのでこれを制止した。別室で、G及びH子と共に入手した覚せい剤を腕に注射して、その後、Gが、被告人に対し『人殺ししたって本当け。ばかなことを言ったらあかんぞ。』と言ったが、同人はシンナー吸入により陶酔状態であって、明確な応答もしないので、同人が殺人事件を敢行したとは受け止めなかった。H子が嫌がるため、三〇分したら、被告人をエレガント甲野へ来させるよう同女に指示して、メゾン丙川を退室し、エレガント甲野へ帰宅した。」というものである。

次に、エレガント甲野に被告人が来た前後の経過については、「被告人が、その後、白色スカイラインを運転してエレガント甲野へ来たので入浴、着替えをさせて、寝かせたが、被告人は、寝ている間、うなされて大声を上げ、汗をかいていた。外出前、同棲中のI子から『昨日、殺人事件があった。あの子でないんけ。』と聞かれたが、半信半疑のまま、被告人の依頼で被告人の運転する車の助手席に同乗して、被告人方へ向かった。その車中で、被告人が、『一人殺してしもうた。中に入った時、腹が立ってかっとなり、訳が分からんようになった。人を殺したら、どれくらい刑務所へいかなあかんやろ。』というので、『一五年位や。』と応答した。その際、同車のダッシュボードに血が付着しているのに初めて気付いて、唾を付けたティッシュペーパーでこれを抜き取った。買い物袋に入れ、同車に積んでいた被告人の着替え前の血痕が付着した衣類等を途中の河川に投棄し、被告人方の様子をうかがうため、同人方付近で運転を替わり、被告人方へ行った。同人は、自宅から紙袋を持って舞い戻り、逃げると言うのでこれを制止し、半信半疑のまま、被告人と共に丁原団地内の現場付近へ赴いたが、同所で紺色ブルーバードの覆面パトカー及び顔見知りの警察官西沢健次の顔を見たことから、本当やと実感して直ちにその場から立ち去った。被告人からいったん離れたいと思い、T子方へ行ったが、同女が不在であったため、とりあえず帰宅して夕食を摂り、戊田会事務所を経てメゾン丙川へ行き、Gに会い同人を同乗させて、自宅から自動車(クレスタ)を持ち出し、所持品を同車へ移した上、白色スカイラインをKに返し、T子方へ赴いて、同女に被告人を匿って欲しい旨要請したが拒否され、次いで、D'方へ行き、同人に要請して被告人を引き渡してエレガント甲野へ帰宅した。」というものである。

血痕の付着した被告人のトレーナーについては、「被告人が着用していた血痕付着の衣類等は、河川へ投棄したと思っていたが、その後、エレガント甲野へBが来て押し入れをかき回した際、血痕付着のトレーナーが出てきた。昭和六一年四月ころ、I子との別れ話が出て、エレガント甲野を退室することとなり、自己の所持品と共にこれを自動車(クレスタ)等に保管し、各所を転々としていた。同年八月、刑務所で知り合ったE'から、電話で兄貴分の保釈金三〇万円の金策を依頼されてこれを承知し、そのころ、奈良県から福井市へ来たE'に対し、喫茶店等から窃取した金員の内三〇万円を渡してやり、E'から、その際、担保として回転式けん銃一丁を預かった。被告人の殺人を証する血痕付着のトレーナーがあったことから、被告人の親から本件殺人を種に金員を喝取することを計画し、E'に相談したが、乗り気ではなく、一たん血痕付着のトレーナーとけん銃を福井市内の土中へ埋めた。その後、覚せい剤取締法違反及び窃盗等により逮捕され、有罪となって姫路少年刑務所に服役中、本件につき、神戸地方裁判所姫路支部において証人として尋問された際に、被告人の着用していた血痕付着のトレーナーを隠していると証言し、その後、福井の警察官、検察官にE'から拳銃を預かったことも話し、同トレーナー及びけん銃を埋めたと思われる場所へ行ったが、これらは消失していた。」というものである。

これまでの供述の経緯及び変遷の理由についてAは、「昭和六一年八月、覚せい剤取締法違反及び窃盗等により逮捕されたが、本件殺人事件につき捜査に協力するつもりはなかった。同年一〇月、逮捕された先輩のF'に被告人が着衣に血痕を付けてエレガント甲野へ来た旨漏らしたことから、警察官から、本件殺人事件について事情聴取された。当時面会者から、被告人がシンナーと絶縁できず精神病院へ入院していると聞知し、自らが覚せい剤取締法違反及び窃盗等で服役中、被告人が逮捕され、本件殺人事件につき犯人を隠したとか、証拠を隠滅したといわれて刑が重くなってはかなわないと思い、警察官の追及により、思い悩んだ挙げ句、『昭和六一年三月中旬、エレガント甲野へ来た被告人の着衣に血が付いているのを見た。その直前、Oとの覚せい剤取引で丙山タクシーを利用した。』旨供述したが、暴力団に所属している以上、真先に関与者の氏名を次々に明らかにして行動経過を明らかにする訳にはいかなかったので、それ以上は供述しなかった。また右の供述によっても、警察が、被告人や他の関係者を追及して捜査を進めると思い、面会に来た知人やI子への書簡で、『殺人事件の犯人を知らんけ。』とか『Dのことをよく思い出してくれ。』などと言って、それ以上の事は何も知らないし、話す気はないことを示して、警察にカムフラージュし、自らが事実を漏らしたのではないことにしようとした。しかし、これを契機に警察から本格的に本件事件当夜の行動経過について追及を受けたため、乙山へ身体着衣に血痕を付けた被告人が来たこと、被告人を同所からメゾン丙川を経てエレガント甲野へ連れて行ったことを供述した。事件当夜、被告人と行動を共にしていたのがBであることは、当初から分かっていたが、戊田会会長の兄弟分の実子であるBの氏名をどうしても出すことができず、被告人と行動を共にしていたのはLである旨事実に反する供述をし、その後、原審証言時までに、被告人の乗っていた自動車が、白色スカイラインであることが捜査の過程で判明したために、事件当夜、被告人と行動を共にしたのはLではなく、Bであったことに気付いた旨供述した。さらに、自らは、事件当夜、エレガント甲野からQ、Rと共に乙山へ行ったとか、N、Pと乙山へ行った際、Sは在店した事実がないのに、Q、R及びSと合流し、Sの自動車(マークⅡ)を借り受け、Nと一緒に北陸高校へ行き、同人を降車させて被告人を待たせたとか、その後、同車でメゾン丙川へ行き、乙山へ戻った後、Sにエレガント甲野へ送ってもらったとか事実に反する供述をした。供述時、相当の日時が経過していたし、Q、Rと乙山で合流した経過は事実であり、本件事件の前後ころに、Sから自動車を借り受け行動を共にした経過があったことから、本件に深く思いを致さず記憶を明確にしないまま供述してしまった。その後、取り調べ警察官から、本件の重大性、被害者及び遺族の心情を説諭され、自らが真実を明らかにすべき責任と被告人が責任を取るべきであること等を感得して、明確に記憶の喚起、整理をして、N及びPと乙山へ行き、被告人からの電話で岩見を迎えに行かせ、被告人及びBが白色スカイラインで乙山へ来たこと、被告人の身体着衣に血痕が付着していることを目撃し、同人から本件殺人の犯行に及んだことを打ち明けられた旨体験事実を供述した。被告人の血痕付着のトレーナーを隠匿したことについては、神戸地方裁判所姫路支部における証人尋問まで供述することができず、同トレーナーを福井市内の土中に埋めたことは、同時に隠匿したけん銃の不法所持が発覚してしまうため供述できなかったが、その後、福井署の警察官や検察官に追及されて、正直にE'からけん銃を預かり、同トレーナーと共に福井市内の土中へ埋めたことを供述した。当審における証言は、長年月の経過により、記憶が減退している点もあるが、記憶にある限り、ありのままの体験事実を証言している。」とする。

(三) 供述の評価

Aの供述は、具体的かつ詳細で、核心部分については一貫しており、丙山タクシーを利用した日時及び赴いた場所、本件後、本件犯行現場付近まで様子を見に行った時の状況等一部について裏付けがあるほか、他の関係者の供述と大筋において一致している。さらに、被告人を連れてT子方を訪れ、同女に対し被告人を匿ってくれるように依頼したが断られたという供述については、T子の原審公判廷における供述により裏付けられている。また、被告人から殺人罪の服役期間を尋ねられ、それに答えたくだりは具体的で、かつ、臨場感が認められる。しかも、前述のAと被告人との関係に加えて、被告人は、本件犯行前にもA方を訪れていたこと及び犯行後Yを頼ってY方へ赴いたものの不在であったことからAを頼りにしてAに連絡をとったことは自然のなりゆきといえ、これらに照らせば、Aの前記供述は十分信用できる。

(四) 疑問点に対する判断

(1) 供述の変遷状況

① 原判決は、被告人を最初に見た日時、場所について、当初は三月二〇日午前六時、エレガント甲野に来た際であったとしていたのに、その後、同日午前零時過ぎ、乙山に変遷したことは不自然である旨判示する。

しかしながら、前述の供述の変遷の経緯に照らすと、右供述の変遷は、Aが当初は親しい友人である関係者の名前を出したくなかったことによるものと判断できるから、右変遷は不自然とはいえない。

② 被告人と犯行現場付近まで同行していた人物について

原判決は、Aは当初、被告人は一人でエレガント甲野前まで来たと供述していたのに、その後Lが被告人と一緒に来たと供述を変え、更にその後はBが被告人と一緒に来たと供述するに至っていることは、不自然である旨判示する。

しかしながら、当審供述によって明らかなように、Bの父親は、Aが当時所属していた暴力団と同系列の組織の相談役の地位にあって知り合いであった上、B自身シンナー仲間で、暴走族の先輩にも当たる関係にあったため、Bの名前を明らかにしたくなく、同じ呼称のLの名前を出したとの弁解はそれなりに首肯できるから、右供述の変遷も了解でき、これが不自然であるとはいえない。

③ 三月一九日夜、乙山に行ったときの状況について

原判決は、Aの供述は、三月一九日の夜誰と乙山に行ったのかに関する部分が変遷している旨判示する。

しかしながら、右は、事実の核心部分ではない上、警察の取り調べを受けたのは、事件発生から相当の日時を経過してからであり、以前にも何回も友人と乙山に行った事実があったことに照らせば、記憶違いが生じてもおかしくないともいえる。したがって、右部分について変遷があるからといって、供述の信用性が失われるとみるのは相当でない。

④ 乙山に電話をしてきた人物及びその内容

原判決は、Aは当初、乙山に電話をしてきたのはLであると供述していたのに、その後Bと供述を変え、更には被告人自らが電話をしてきたと供述しているが、これは不自然である旨判示する。

しかしながら、Lの供述がBに変わった理由は前述のとおり首肯できる上、Bは本件犯行当夜被告人と行動を共にした事実を認めたが、乙山にいたAに電話をかけたことは否定していたため、その点の確認を求められたAが被告人から電話を受けた記憶を喚起したとも考えられる。またAの供述は、その電話の内容が被告人が人殺しをしたという点では共通している。したがって、これらに照らせば、右供述の変遷は不合理ではない。

⑤ 被告人らを乙山に導いた状況

原判決は、Aは当初Lと被告人が直接乙山に来たと供述していたのに、その後AとNが北陸高校前まで行った後Nをその場に残したとし、更にNだけが北陸高校前まで行ったと供述を変遷させているが、これは不自然である旨判示する。

しかしながら、右供述当時、AはL(B)とNのことを混同していたとも考えられる。また、作成者本人の意向が反映される上申書と捜査官が捜査に必要な観点に重点を置いて取り調べた結果作成される供述調書とはその性格が異なるから、両者の内容の食い違いをとらえて、その変遷に合理性がないというのは相当でない。なお、弁護人は、L(B)とNは外見も異なるから、Aが両名を混同して考えることはありえない旨主張するが、B及びNは、いずれも乙山からメゾン丙川に至るまでA及び被告人と行動を共にしていたのであるから、そのようなことがあったとしても決して不自然であるとはいえず、弁護人の右主張は採用できない。

⑥ 被告人の衣服の処分状況

原判決は、Aの供述は、血の付いた被告人の衣類を処分した状況に関する部分が変遷しており、不自然である旨判示する。

そこで検討するに、当初Aが右衣類等を被告人方に持っていったと供述したのは、Aが重要証拠物を処分するなどの罪証湮滅工作を図ったことから、真相を秘匿していたものと推認しうる。Aはその後、これらを被告人方へ向かう途中の河川へ投棄したと述べていたのに、投棄物についても靴や靴下を投棄したか否か供述を変遷させているが、Aは、本件については第三者であり、川に捨てた衣類等の内容についての記憶が十分でなかったと考えられる。またAは、その後原裁判所の神戸地方裁判所姫路支部での証拠調べにおいて突如、衣類のうちトレーナーは川に捨てておらず、福井市内のある場所に隠してあると供述し、従前の供述を翻しているが、当時姫路少年刑務所に服役していたAが捜査のために福井刑務所へ移監されるかも知れないと期待したことによる嘘の内容である可能性も全く否定できないものの、後記のような当審供述に照らすと、Aの右供述が虚偽であると断ずることもできない。なお、Aは原審公判廷において、このように供述を何度も変遷させたことにつき、投げやりともとられるような不真面目な供述態度を取っているが、このことについては、弁護人により詳細かつ重複とも思える尋問がなされたこととの関連性も否定できない。

ところで、Aは、当審において、「血痕が付着したトレーナーがエレガント甲野の押入れから出てきた。昭和六一年八月、刑務所で知り合ったE'から兄貴分の保釈金三〇万円の金策を依頼されて、福井市に来たE'に三〇万円を手渡したところ、担保として回転式けん銃一丁を預かった。その際血痕が付着したトレーナーがあったことから、被告人の親から本件殺人を種に金員を喝取することを計画し、E'に相談したが、乗り気でなかったので、トレーナーを預かったけん銃一丁と一緒に埋めた。」と供述するに至ったが、E'は、当審において、けん銃やトレーナーに関する被告人の供述を否定する証言をしている。しかしながら、E'は、けん銃の不法所持の刑責を問われることを避けるためにそのような証言をした可能性を否定できないところ、E'自身昭和六一年八月ころ、Aを尋ね、福井市に来たこと自体は認めており、その際にAがE'からけん銃を受け取った可能性を否定できない。E'自身、Aから殺人事件を犯した後輩の親が金持ちであるから、証拠品も持っているので、警察へ言うと脅して金を取れないだろうかとの相談を受け、これに乗らなかった旨一部Aの供述を裏付ける証言をしている。

これらに照らすと、右衣類等の処分についてのAの供述にはなる程変遷が見られるが、その変遷は、被告人の犯人性に関するAの供述の信用性を損なうものとはいえず、被告人が犯人であることに合理的な疑念をさしはさむものとはいい難い。

(2) 供述の裏付けとなるべき客観的証拠がないことについて

① スカイラインの助手席ダッシュボードの血痕について

原判決は、被告人の血痕付着状況に照らせば、スカイラインの助手席等に血痕が付着するはずであるのに、これがないのは不自然、不合理である旨判示する。

しかしながら、そもそもスカイライン内から血痕が発見されなかったとしても不自然とはいえないことは、先にBの供述に関して述べたとおりである上、ティッシュペーパーに唾を付けて拭いた際、Aは、罪証を湮滅するために入念に拭いたと考えられる。しかも、所有者のKは前記のとおり、月に三、四回はガソリンスタンドで洗車及び車内の清掃をしてもらっており、その際汚れが目に付きやすいダッシュボードには、入念な清掃が行われたと考えられる。このことは、入念な清掃を行うことが困難なダッシュボードの下部にあるスピーカーカバーの右端部分付近から極めて微量の血痕が採取されたことと矛盾しない。したがって、右スカイラインの助手席ダッシュボードから血痕が検出されなかったとしても、何ら不自然とはいえない。

② メゾン丙川の室内の血痕について

原判決は、被告人が、メゾン丙川に入る際、身体に相当量の血を付けていたのに、同室内から何ら血液反応が検出されなかったのは不自然である旨判示する。

しかしながら、被告人がH子方に行ったのは、本件犯行後約四時間を経過したころであるから、既に血が乾燥していて他に付着しない状態になっていたと考えられる。また、同所にいたとされるA、H子は、被告人の手や着衣等に付いていた血が同室内やこたつ布団等に付くような状況ないし事実があったとは供述しておらず、仮に微量の血痕が付着していたとしても、被告人がメゾン丙川に立ち寄った事実が判明した約九か月の間に、H子は何度も掃除をしていると思われる。これらに照らせば、メゾン丙川の室内から血液反応がなかったのも不自然ではない。

(3) 供述内容の不自然、不合理な点について

① 被告人の乙山到着後の行動について

原判決は、Aの供述による被告人の行動は、積極的に自己の犯行を説明したり、援助を求めたり、善後策について相談を持ちかけようともしないもので、切迫感、臨場感に欠けるものである旨説示する。

しかしながら、犯行直後における犯人の心理状態は、常識によって常に了解できるとは限られないところ、本件犯行前後においてシンナー吸入を続け、乙山に来た時にはろれつも回らないほどの状態であった被告人が、当時兄貴分としていろいろ面倒を見てもらっていたAに会えたことで安心し、その後のこと一切をAに任せようと考えることは何ら不自然ではない。また、そもそも被告人は既に、電話で、Aに対し、「人を殺してしまった。どうしていいか分からん。」などと言って相談し、乙山前においても、「この前の女の子を殺してしまった。」などと打ち明け、犯行を告白しているのであり、これらに照らせば、被告人がそれ以上に犯行の説明をしたり、善後策についての相談をしなかったからといって、何ら不自然であるとはいえない。

② 被告人を見たAの行動について

原判決は、被告人が殺人という重大な事実を告白し、現に身体や着衣に生々しい痕跡を残しているにもかかわらず、Aが具体的な説明を求めたり、その痕跡を消去する等の措置をとらず、被告人自身これらに何ら対処していないのは不自然である旨判示する。

しかしながら、被告人の前記状況に照らせば、その場で被告人に具体的な説明を求めることはできなかったと認められ、これを認識しつつ、また、Oとの覚せい剤の取引が間近に迫っていたため、とりあえずH子方に被告人を匿うことにし、H子方に赴くや直ちに、同女に対し、「けんかしてやばいでちょっと匿ってくれ。血を付けているで風呂に入れてやってくれ」などと頼んだAの行動は、合理的な行動として十分了解できるものである。被告人がその後メゾン丙川からエレガント甲野まで車を運転してきたことについても、犯行直後で興奮状態にあり、シンナー吸入による影響もいまだ残っていたであろう被告人の心理状況、メゾン丙川とエレガント甲野は近距離であったこと、右移動が早朝、しかも自動車によってなされていることなどに照らすと、被告人がH子方で一応血を洗い流した以上に血痕を除去するなどの方策を講じなかったとしても不自然でない。

③ メゾン丙川に向かってからのBに関する供述について

原判決は、Aの供述は、メゾン丙川に向かってからのBに関する部分についてはあいまいであるが、Bは、被告人と行動を共にしてきており、Aも最も関心を抱くはずの者であるから、右供述は不自然である旨判示する。

しかしながら、Aは、当初からメゾン丙川のH子方にBが入ったかどうかは思い出すことができず、分からないと供述していたのであり、供述の変遷は、メゾン丙川からエレガント甲野まで被告人と共に移動したかどうかに過ぎない。また、Aとしても、乙山で被告人と出会い、その後行動を共にするようになってからは、いきおい被告人に関心が集中するとも考えられるから、AがBの行動について覚えていないからといって、何ら不自然でない。

④ 被告人による犯行状況の説明について

原判決は、Aは当初、Lの名前を出していた際には、同人から被告人の犯行状況を聞いた旨供述していたのに、LをBと改めてからは、同人から犯行状況を聞いたとの供述が欠落しており、不自然である旨判示する。

しかしながら、Bは、Aから被告人の犯行状況について聞かれたことを否定する供述をしていたのであるから、これに基づきAのLから被告人の犯行状況を聞いたという当初の供述が変更されたものと考える余地がある上、時間の経過によりAが記憶に自信がなくなったことによるとも考えられ、これらに照らせば、供述が欠落したとはいえないし、もとより、この程度の供述の変遷は、Aの供述の信用性を減殺するものではない。

⑤ T子に被告人を匿うことを頼んだことについて

原判決は、Aが被告人を匿うよう頼んだT子は、本件犯行の二、三日前に被告人らが輪姦し、当時被告人が謝罪に努めていたのであり、Aもそのことを知っていたのであるから、そのような同女にAが右依頼をすることは非常識と考えられ、Aの右供述は信用性がない旨判示する。

しかしながら、T子に対する右事件は、捜査が行われたものの、結局立件できなかったもので、厳密に輪姦と評価できるものであったかどうかは疑問である上、前述したように、Aや被告人は、いずれも犯罪歴、非行歴を有し、シンナーや覚せい剤を常用しており、いささか常識に欠けるところがあること、T子もまたシンナー常習者で、シンナーを通じてAや被告人らと交友関係があったとの事情に照らすと、緊急に被告人を匿う必要に迫られたAが右交遊関係のある同女に相談を持ちかけたとしても、それほど不自然なことではない。現に、T子は、原審公判廷において、時期は明確でないものの、Aが被告人と共に自宅を訪れ、被告人を匿ってくれと言ってきたが、断ったと証言し、弁護人が提出した同女の録音テープ(平成二年押第二六号の15)中にも、同様の供述がある。したがって、右供述は、何らAの供述の信用性を減殺するものではない。

(4) 他の証拠との不一致

① 被告人の身体への血痕の付着個所について

原判決は、被告人の顔面、首筋、右大腿部、胸部に血痕が付着していたとのAの供述は、この点に関する他の関係者の供述と一致しておらず、その供述内容は信用できない旨判示する。

しかしながら、この点に関する関係者であるB、H子、G及びI子の各供述は、顔の部分を除き、大筋で一致していて、Aの供述を裏付けている。

また、原判決は、もしAの供述のとおり被告人が顔等にも血を付けていたのであれば、被告人と長時間にわたり行動を共にしていたBや、メゾン丙川で被告人の姿を見たとされるN、H子らが被告人の顔等に付着した血に気付かなかったとは考えられない旨判示する。

しかしながら、Bは被告人と長時間行動を共にしていたものの、明るいところでは被告人を見ておらず、運転中は、助手席にいた被告人の正面の姿が見えにくい状況にあったこと、被告人はBと行動を共にしている間、降車時を除き、いつもシンナーの入ったビニール袋を口にくわえて吸入を続けていたから、顔の血に気付きにくい状況にあったこと、Bはさほど被告人の動静には関心がなく、しかも自らもシンナーを吸入して酩酊しており、注意力が減退していたことに照らせば、Bの供述はAの右供述の信用性を減殺するものではないし、N及びH子の供述についても、本件発生後約八か月ないし一〇か月経過して、記憶が薄れてからの取り調べによること、これらの者は、B以上に被告人のことは他人事に過ぎず、特に強い関心があったとも考えがたいこと、被告人はH子方でこたつの近くに座っており、シンナーの入ったビニール袋を口にくわえて吸入を続けていたから、大腿部付近及び顔の血に気付きにくい状況にあったことなどに照らせば、Aの供述の信用性を減殺するものではない。

むしろ、このように関係者間で供述内容が異なっているのは、それぞれの記憶に従い供述がなされ、捜査官側からの誘導等がなかったことを推認させるものであって、Aの供述の信用性を裏付けるものである。

② B及びGの各供述との不一致

原判決は、被告人から犯行状況の説明を受けた際の状況に関するAの供述はBの供述と、またGから電話を受けた内容、その後のAとGとの行動に関するAの供述はGの供述と、それぞれ一致していないとして、その供述内容が信用できない旨判示する。

しかしながら、前述したように、Aらの取り調べは本件発生から相当期間を経過した後に行われているから、ある程度の供述の不一致が生ずるのは避けられないところ、原判決が不一致と指摘する部分は、事件後の関係者の行動の核心部分ではない。これに対して乙山にいると、ポケットベルが鳴ったので、Aが戊田会事務所に電話を入れ、電話に出たGに同店の電話番号を教えたこと、しばらくして被告人から同店のAあてに電話が入ったこと、その後、Aが覚せい剤の取引を済ませて戊田会事務所にいたGに同会本部長のキャデラックを運転させ、これに乗車してH子方に戻り、三〇分位したら被告人を自宅に来させてくれとH子に指示し、Gに同車で送ってもらいエレガント甲野の自宅に帰ったこと等の基本となるべき事項については、これら関係者の供述が一致している。

(五) Aの当審における供述に対する弁護人の主張に対する判断

弁護人は、Aの当審における供述は、従前から弁護人の指摘していた諸々の疑問を解消させなかったばかりか、新たに乙山におけるBとの電話の状況、乙山前で初めて被告人に付着していた血痕を目撃した状況、乙山からメゾン丙川へ移動したときの状況等につき変遷が見られるから、従前の供述と同様、信用性がない旨主張する。

しかしながら、Aの供述については原判決が指摘した種々の疑問点がいずれも同供述の信用性を左右させるものではないことは、前述のとおりである上、当審における供述について弁護人が新たに主張する個所は、いずれも供述全体から見れば、些細ともいえる部分であり、当審供述までの時間の経過をも勘案すれば、いずれもAの供述の信用性を左右させるものではない。

したがって、弁護人の右主張は採用できない。

(六) Aが被告人が犯人である旨供述した経緯、Aの立場、Aの他の参考人に対する働きかけについて

原判決は、Aは被告人が本件犯人である旨の供述をしていた当時、自己の刑事事件の量刑や代用監獄における待遇面での配慮を得るために、そのような供述を始めたものと見る余地が多分にあった旨説示する。そして、当時Aに対する窃盗、覚せい剤取締法違反事件の取り調べが行われていたことは前述のとおりである。

しかしながら、Aの本件についての本格的、詳細な供述調書が作成されたのは昭和六一年一一月二五日以降であるところ、Aに対する右事件の取り調べは、同年一〇月三一日までにすべて終了し、同日、最後の起訴も終了しており、右事件の逮捕、勾留が直接影響したとは考えられず、したがって、そのために本件でAが捜査官に迎合した供述をなしたとは認められない。AのI子に対する書簡及び福井署に面会に来たC、X子への発言の内容についても、虚偽の事実を述べることを要求したものとは認められない。

たしかに、Aが警察官に対し、被告人の件を話すようになった動機の中には、量刑上の便宜や保釈を得ようとする気持ちもあったことが認められるが、取り調べ警察官が立場上Aに保釈の約束をなし得るはずはなく、現にその約束をしておらず、Aからの三回にわたる保釈請求はいずれも却下されており、Aの移監が見送られたのも、前述のとおり衣類の投棄場所について新たな供述をするとともに、その場所を案内するとA自らが供述したことによる捜査の必要上によるものであって、この点につき捜査官による不当な働きかけをうかがわせるものはない。

また、Aの供述を発端として、本件についての多数の目撃者が順次判明し、それらの関係者の取り調べが開始されたが、当時、Aは身柄拘束中で、他の関係者との通謀は物理的に不可能な状況であったにもかかわらず、右関係者の供述は大筋において合致している。

したがって、原判決の右判示は相当ではない。

3  Nの供述について

(一) Nと被告人との関係

Nは、Aの友人であったが、被告人とは、暴走族の関係でこれまでに一度会ったことがあるだけである。

(二) Nの供述について

(1) 捜査段階(検察官調書については公判証言後のものを含む)及び原審第七、八回公判廷における供述(以下第一次供述という。)の要旨

「昭和六一年三月一九日夜、Z運転の車で友人のP方に行き、同所でPと『夜のヒットスタジオ』というテレビ番組を見ていたら、アン・ルイスと吉川晃司とのセクシャルな場面のころにAから電話があり、P運転の車でエレガント甲野に向かった。同所でAを乗せた後、P、Aとの三人で乙山に行き、Pは帰り、Aと二人で同店に入ってゲーム等をして遊んでいたが、Aから、連れが来るので近くの稲荷神社付近まで迎えに行って欲しいと頼まれ、同所で白色スカイラインに乗った被告人と初対面のBの両名と落ち合い、その二人を乙山へ案内してAに引き合わせた。その後、Aの先導で被告人とBを乗せたスカイラインを運転してメゾン丙川のH子方に行き、同所で被告人の胸に血が付いているのを目撃し、しばらくしてZに電話して車で近くの近新家具前まで迎えに来させ、福井市内を走り回るうち、本件発生に伴う警察官による検問を受けた。」というものである。

(2) 原審第三五、三六回公判廷における供述(以下第二次供述という。)の要旨

「昭和六一年三月一九日夜は、Zと共に福井市二の宮所在のうどん店『戊川』へ食事に行き、同店で、客として来た知り合いの『花子』という女性(甲村花子)が自分たちに親しく挨拶したところ、同女の連れの男性(乙村一夫)が腹を立て、同女に椅子を投げつけたりするのを見た(以下戊川のけんかという。)。その後、同店駐車場でPと会ったので、同人に覚せい剤を注文し、翌二〇日午前零時ころ、ショッピングセンター『戊村』駐車場で取引することにし、同時刻ころ、同所で同人から覚せい剤を譲り受けた。その後、Z運転の車で福井市内を走行するうち、本件発生に伴う検問を受けた。これまで供述した、Pの部屋にいるとAから電話があり、エレガント甲野及び乙山へPの車で行き、乙山でAに頼まれて被告人を迎えに行くなどした後、メゾン丙川二〇一号室において、被告人の胸の血を見たという事実はあったが、三月一九日夜のことではない。」というものである。

(3) 当審における供述の要旨

本件犯行当夜の自己の行動及び体験事実については、「昭和六一年三月一九日夜、Pの車でAが住むエレガント甲野へ行き、同人も同乗して乙山に行った。同店で遊んでいたところ、Aのポケットベルが鳴り、同人から北陸高校近くにある稲荷神社まで友達を迎えに行ってくれと頼まれた。これに応じて同所で待っていたところ、被告人とBが乗った白いスカイラインがやって来たので、これに同乗して乙山まで案内した。その際、車内はシンナー臭かった。その後、Aが茶色の車で先導し、自分が追尾して被告人とBを乗せたスカイラインを運転し、メゾン丙川二〇一号室のH子方へ行った。車を駐車させる際、同車コンソールボックスの上付近に置いてあった被告人の物と思われるジャンパーの袖口に血が付いているのを見た。メゾン丙川へはこの夜初めて行き、同郷のH子が同所に住んでいることもこの夜初めて知った。そして、H子方で被告人の着衣の胸に血が付いているのを目撃した。一時間足らず同所にいた後、H子方を出てG'方に遊びに行っていたZに電話連絡をとって近新家具前まで迎えに来させ、同人と共に黒色マークⅡで福井市内を走り回るうち、警察官の検問を受け、その際、本件の発生を知った。」というものである。

次に、戊川のけんかについては、「戊山工業に住み込みで働いていたころで、本件発生日に近いころの夜、Zと共に戊川へ食事に行った際、客として来た知り合いの女の子が自分たちに挨拶したところ、同女と一緒に来ていた乙村一夫が腹を立てて急にけんかになった。その夜、Pから覚せい剤を譲り受ける約束をし、翌日午前零時ころ、ショッピングセンター『戊村』で覚せい剤を譲り受けた。この覚せい剤は一センチ角のビニール袋に入っており、量は自分の使用量にして二回分位で、代金は一万円の約束だった。覚せい剤を譲り受けた後は、Zと共に戊山工業の部屋へ帰り、二人で一回ずつ注射して使用した。このため覚せい剤はなくなり、残った空のビニール袋は処分した。その夜、覚せい剤を使ったり車に隠し持ったりして福井市内を車で走り回るうち、本件に伴う警察の検問に会ったということはない。」というものである。

そして、供述の経緯及び変遷の理由については、「本件に関して、初めて警察官の取り調べを受けたのは昭和六一年中のことで、その際の担当者は福井警察署の暴力係西村刑事だった。当時、自分は大野に事務所を置く暴力団甲本組に所属しており、覚せい剤を使用中であったことから、同組代貸H'の指示により、約二週間同組事務所にこもり、覚せい剤が体から切れるのを待ってから西村刑事の取り調べに応じたが、本件のことで事情を聞かれるとは思っておらず、自己の覚せい剤に関する取り調べと思っていた。そして、昭和六一年三月一九日の夜の行動について尋ねられたのに対し、当時は戊山工業に勤めており、そのころ戊川のけんかを目撃したこと、三月一九日は本件に伴う警察官の検問を受けたことが記憶にあったので、これらが同じ夜の出来事であるとの記憶まではなかったが、当時そのようなことがあった旨述べた。その後、年明けの昭和六二年一月ころ、松山刑事の本格的な取り調べを受けるようになり、当初、西村刑事にしたのと同趣旨の供述をしたものの、もともと戊川のけんかが三月一九日当夜の出来事であったとの記憶があった訳ではなく、松山刑事からもそれは違うだろうと言われ、結局、自分の記憶としても、本件当夜は、メゾン丙川のH子方で被告人の着衣の胸に血が付いているのを目撃し、引き続き本件に伴う警察の検問に会ったというのが正しいと思ったので、その旨の供述をした。しかし、その後の捜査段階の取り調べや原審公判廷における第一次証言では戊川のけんかのことが全く問題とならなかったため、右第一次証言後そのことに引っかかりを感じるとともに、この出来事が一体いつのことだったのか知りたいという気持ちを持っていた。そうしたところ、その後、本件弁護人から会って欲しいとの働きかけがあり、昭和六三年九月ころ、勝山市の喫茶丁野で吉村弁護士と会った。その際も捜査段階における供述及び右第一次証言と同内容の説明を行ったが、戊川のけんかのことが引っかかっていたので、一体いつの出来事だったのか知りたいという気持ちから、本件当時ころ戊川のけんかがあったことを話した。平成元年四月一六日ころ、喫茶丁野において、やはり戊川のけんかがいつのことだったのか知りたいと言っていたZも同席して吉村弁護士との二回目の面談を行った。その際、本件当夜ころ、戊川のけんかがあり、その後、Pから覚せい剤を譲り受け、引き続き本件に伴う警察の検問を受けたとの話をしたが、自分としては戊川のけんかが本件当夜の出来事であるという確かな記憶があって述べたのではなく、戊川のけんかが本当はいつの出来事だったのか知りたいという気持ちで弁護士との面談を行ったに過ぎない。そうしたところ、吉村弁護士から『乙村は戊川のけんかは一九日の夜の出来事だと言っている。』旨告げられ、けんかをした本人がそのように言っているのであれば、三月一九日夜の出来事に間違いないと思い、本件に伴う検問に会った日にちははっきりしていたので、これらが同じ夜の出来事であったことに間違いないと思うようになった。それで第二次供述をした。この当時は、本件に関して周囲からいろいろな話が入ってくるため頭の中が混乱していた。その後冷静に思い起こしてみると、Pから譲り受けた覚せい剤はすぐ戊山工業の部屋へ持ち帰ってZと一緒に使っており、覚せい剤を使ったり覚せい剤を車内に隠し持ったままZと共に福井市内を車で走り回っていて警察の検問に会ったという記憶はなく、むしろ、初めてメゾン丙川へ行き、同所で被告人の着衣の血を目撃した際の一連の行動について順をたどると、被告人の血を見た後、Zに近新家具前まで迎えに来てもらい、私が無免許運転をして知り合いのホステス『戊野』のアパートに行くため新明里橋まで来た時、本件に伴う警察の検問に会ったという記憶が正しいと思うようになった。今回証言するに当たっては、警察官や検察官から証言内容に関する働きかけは一切なく、現時点の自分の記憶どおりに述べた。」というものである

(三) 供述の評価

(1) 第一次供述について

Nが昭和六一年三月一九日の夜乙山に行くまでの経緯については、A、P、Zの供述によって裏付けられている。同日午後九時から放送されたテレビ番組「夜のヒットスタジオ」の放送内容には、アン・ルイスと吉川晃司がいやらしい仕種をしていたものが含まれていた。その後、Nが被告人を迎えに行き、乙山に戻った後、メゾン丙川のH子方に行って、その後、Zと共に車で福井市内を走っていたところ警察官の検問を受けたことは、A、B、H子の各供述、Zの誕生日(三月一八日)の翌日であるというZの捜査段階における供述によって裏付けられているし、警察官が、N、Z乗車の車を検問したことは、客観的に明らかである。

さらに、Nの右供述は、これに符合する前記B及びAの各供述を裏付けるものである。これらに照らせば、Nの第一次供述は信用できる。

弁護人は、Nは少年院に送致された前歴を有するほか、本件当時大野市内の暴力団に所属しており、本件前後には覚せい剤を使用していた形跡もある人物であるから、まさに前歴のある者として、捜査官側の意向にことさら抗し難い素地を有していることに照らせば、Nの第一次供述は信用できない旨主張する。

しかしながら、なるほどNの前歴はそのようなものであるものの、本件取り調べ当時、Nは何ら余罪についての捜査を受けていなかったのであるから、捜査官に迎合した供述を行わなければならない必要は何らなかったものというべきであり、弁護人の右主張は採用できない。

(2) 第二次供述について

Nは、一回目の証言後、二回目の証言をなすまでの間に、弁護人と四、五回面会し、その際、弁護人の求めに応じ、いわゆる事前テストを受けており、このうち昭和六三年九月五日及び平成元年四月一六日には、供述の録音テープ(平成二年押第二六号の17、18)が作成されたが、特にこのうち後者については、Z(同人は、その後、Nの第二次供述の少し前に原審において証言を行い、その証言内容をNも傍聴していたことが認められる。)がその場に同席していたばかりか、弁護人においてNに対し、同人が被告人の胸に血が付いているのを見たのは昭和六一年三月一九日の夜半過ぎころのことではなく、同日夜は戊川のけんかを目撃しているはずであると教示し、又は戊川のけんかがあったのは同日のことであるとする乙村の供述内容を持ち出すなどし、Nの記憶を喚起させようとしたことが認められる。

これらに照らせば、Nが第二次供述をするに至ったのは、弁護人による右事前テストの影響が大きいというべきであるが、右のような方法による弁護人の証人になろうとする者への働きかけは、それが被告人の無罪を確信し、Nの捜査段階における供述内容を弾劾し、かつ同人のありのままの記憶を喚起させようとする弁護人の熱意、努力によってなされたものであるとしても、なお、証人となろうとする者の証言内容に影響を及ぼしたものと解される。

第二次供述については、Nが供述をなすに至った状況につき右のような問題があるほか、その内容が不合理である。すなわち、三月二〇日午前零時ころ覚せい剤を譲り受け、これを所持している者が、午前一時五七分ころ警察官の検問を受け、車の検索を受けたばかりか殺人事件が発生したことを聞かされたのであれば、そのとき覚せい剤が発見されなかったものの、他の場所での検問も当然予想でき、その際警察官にこれが発見され、逮捕される可能性も極めて高いと思われるのに、引き続き深夜福井市内を意味もなく走り回っていたというのは、不自然、不合理といわなければならない。むしろ、Nは、当日被告人の胸付近に多量の血が付いているのを目撃したことから、被告人が犯人ではないかと考え、現場の状況を見に行ったと考えるのが合理的である。また、被告人の服に血が付いているのを見た日についてのNの供述は、動揺しながらも結局、昭和六一年三月末よりも以前であることを認めているが、それはNが第一次供述で述べているとおり、戊山工業に勤務していたころである。

うどん店戊川で甲村花子とけんかした日が昭和六一年三月一九日であるとの乙村の供述は、原判決も説示するとおり信用できない。すなわち、乙村はその日のテレビ番組を見てから弁護人の事情聴取を受けるまでに二年半、捜査官の取り調べを受けるまでに三年近くが経過しており、同人が同番組を記憶していたとは特段の事情がない限り考え難いが、そのような特段の事情は存在しないこと、乙村が指摘する甲村の日記についても、乙村は右三月一九日だけをけんかの日としてわざわざ調べたこと自体不可解であるうえ、当該日記にはけんかの事実が直接記載されているわけではないというのであり、その日記自体紛失してしまっている。しかも、弾劾証拠として取り調べられた同人の平成元年一月一九日付け司法警察員に対する供述調書では、同女とけんかした日については、これを明確に覚えていない旨供述している。

Nは、第二次供述においても、Aに頼まれて被告人を迎えに行き、スカイラインに乗った被告人とBを乙山まで案内し、その後、被告人、Aらと共にメゾン丙川に行き、被告人の胸に血が付いているのを見たことは、明確に証言しており、その内容は、日時の点を除いて、第一次供述の内容に沿っていて、このような体験は一度しかしたことがなく、それは昭和六一年三月前後ころであった旨供述している。Nが前述した弁護人による事前テストを受けながら、依然として右供述を維持していることは、とりもなおさず、第一次供述が信用できることを裏付けるものである。

(3) 当審供述について

当審供述は、第一次供述の信用性を確認し、第二次供述の信用性を弾劾するもので、各供述の問題点及び供述が変遷した理由についても明確に供述しており、その信用性は高いというべきである。

(四) 疑問点に対する判断

(1) 原判決は、A及びBの各供述を裏付ける内容のNの第一次供述は、第二次供述によって、大きく動揺、変遷しており、その事実自体から第一次供述の信用性は相当減殺されており、Nは、捜査段階の当初においては、第二次供述に沿う内容の供述をしていたが、捜査官から、Pも乙村も戊川の件のあった日は三月一九日の夜とは違う日だと言っていると言われて、記憶に自信がなくなり、第一次供述を行った旨判示する。

しかしながら、Nが、そのような内容の供述をした旨の供述調書は存在せず、原審公判廷における第一次証言の際にも、弁護人により長時間かつ執拗な反対尋問が実施されたにもかかわらず、そのような供述は全くなされていないのであり、これらに照らせば、Nがそのような供述をしていたとは認められない。Nの供述は、日にちについての記憶は不十分であるといわざるを得ないが、本件発生後の時間の経過に照らせば、それは当然のことである。そして、P、Zも捜査段階において最終的には、戊川のけんかのあった日が本件殺人事件の発生した三月一九日の夜とは違う日であることを前提に供述していること、N自身、第二次供述時においても、三月一九日ではないとしつつも、Pの部屋でAから電話があり、エレガント甲野及び乙山へPの車で行き、乙山でAに頼まれて被告人を迎えに行くなどした後、メゾン丙川二〇一号室において、被告人の胸の血を見たという事実があったことを供述していることに照らせば、Nの第一次供述の信用性を否定できないと考えられる。

原判決は、捜査側も、戊川のけんかの裏付けを行っていることを重視するが、裏付けを行った理由及び時期が問題であり、前記のとおりNが、捜査段階の当初において、第二次供述に沿う内容の供述をしていたことから、捜査側が、戊川のけんかの裏付けを行ったとは認められない。

(2) 原判決は、Zも、Nの場合と同様、Nや乙村も戊川のけんかのあった日は違う日だと言っていると言われて、記憶に自信がなくなり、Nの第一次供述に沿う旨の供述調書の作成に応じたと証言していることを重視している。

しかしながら、Zの右証言は、Nを迎えに行った日は、Zの誕生日の翌日であり、その日の夜、明里橋の近くで警察官の検問を受けた際、殺人事件があったことを聞かされたので、昭和六一年三月一九日の夜に間違いがないと具体的、客観的な根拠をあげて述べている同人の検察官及び司法警察員に対する供述調書に反していること、Nの第二次供述が信用できない前記理由と同様の理由が当てはまること、Zは検察官及び警察官に対し、全くでたらめな供述をしてしまったと証言しているが、同証言内容自体不自然、不合理であること、ZもNと同様に、証言前に弁護人の事前テストを受けており、弁護人から乙村も戊川のけんかは三月一九日であったと供述していると教示されたことにより、前記証言を行っていると推認できること、証言に沿う内容の検察官調書及び警察官調書は存在せず、証言が当初の記憶と同一であったとは認められないことなどに照らし、信用できない。

(3) 原判決は、証人Pも、原審公判廷において、捜査官からNとエレガント甲野に行き、Aらと乙山に行くなどした日について聞かれた際には記憶がなかったが、捜査官からNやZがいずれもその日は三月一九日夜だと言っていると聞かされたので、これに話を合わせた旨証言しているが、これはN及びZの場合と同様である旨判示する。

しかしながら、Pの検察官に対する供述内容は、Aの前記供述、Nの第一次供述、Zの検察官調書によって裏付けられており、前記テレビ番組の内容とも符合していて信用できるのに対し、前記Pの証言部分は、捜査官がPを取り調べた昭和六二年一月一四日の時点では、N及びZのいずれからも供述が得られていないこと(Nについては同月二七日以降、Zについては同月二九日に供述がなされている。)、Pは、テレビ番組の内容を友人に確認した上で警察官調書の作成に応じていること、右証言に沿う供述調書は存在しないこと等に照らし、信用できない。したがって、右判示内容は採用できない。

(4) 原判決は、スカイラインに装着されていたカーステレオに関するNの供述が変更しているのは、単なる勘違いではなく、具体的、明確な記憶がないのに、スカイラインの現物を見せられたNが取調官に迎合して安易に供述したことによるものと考えられる旨判示する。

しかしながら、Nが取り調べを受けたのは、本件事件発生から約一〇か月以上経過してからであること、この種の機器に熟知し、あるいは強い興味、関心を抱いている者であればともかく、通常の興味、関心を有するに過ぎないNが勘違いをしたとしてもおかしくないこと、当時の友人らの車に装着されていた同種の最新型カーステレオの印象が残っていたため、スカイラインの現物を見せられた際、同車に装着されていたカーステレオが本件当時も装着されていたと勘違いしたことなどに照らせば、Nの右供述の変遷には合理的な理由があるといえる。この点に関し、取調官による誘導があったとは認められない。

(5) 原判決は、Nは、検察官調書において、メゾン丙川二〇一号室において、被告人の胸に、長径約一五センチメートル、短径約八センチメートルの楕円形の大きな血と、その周りに飛び散ったように付いている細かい血を見たとしながら、その場にいたH子同様、被告人に何かあったか尋ねていないのは不自然であり、また、手や顔への血の付着状況は、Aの供述に反している旨判示する。

しかしながら、Nは元暴力団員で、多数の前歴を有し、被告人やAから、本件殺人については全く聞いていなかったので、シンナーに酔った被告人を見ても、せいぜいシンナーを吸いけんかをした程度にしか思っていたに過ぎないこと、被告人とは親しくなかったことなどから、特に被告人に強い注意や関心を示さなかったとしても不自然、不合理ではないこと、供述当時は、事件発生後かなり時間の経過があり、記憶力の差異、関心の違い等により関係者間で供述に食い違いがあるのは当然であって、むしろ主要な点において合致していることを重視すべきであること、H子の行動は、Nにとって関心の度合いが低く、後記のとおりH子自身、当時の自己の記憶が十分でないことに照らせば、H子の行動についてのNの記憶があいまいであっても、何ら不自然でなく、信用性に影響するものではない。

(6) 原判決は、被告人の言動についてのNの供述内容は、シンナーの影響を考慮しても、殺人を犯して助けを求めて来た人物の行動としては、著しく臨場感に欠け、実在感、切迫感が伝わって来ない旨判示する。

しかしながら、当時の被告人の状況、特にシンナー吸入による影響を考慮するならば、被告人の行動は何ら臨場感等に欠けるものではなく、逆に、本件特有の特殊性、具体性が看取できる。

また、原判決は、Bがメゾン丙川二〇一号室に来たかどうかに関するNの供述は、H子の供述に反するもので、供述の信用性を判断するについて、解消しえない疑問が残る旨判示する。

しかしながら、当時からの時間の経過、血を付けた被告人に比べれば、Bの印象が薄くなっても不自然ではないと考えられること、記憶力には個人差があることに照らせば、関係者の供述間に食い違いがあっても、何ら不自然ではなく、逆に、そのような食い違いがあることは、本件について捜査官からの誘導がなく、記憶に従った供述がなされたことを裏付けるものである。

(7) 原判決は、Nの捜査段階の供述は、メゾン丙川前にスカイラインを駐車させる際に、コンソールボックス上にナイロン地でやや茶色系が混じったクリーム色のダウンジャケット様の服が丸められて置かれており、その袖口に血が付いていたのを見たとされるが、B、Aの各供述中にそのような服が登場していないことに照らせば、Nの供述は特異なものであって信用できない旨判示する。

しかしながら、個人の記憶は、記憶力の差異、関心の有無、その対象等により、同じ物を見聞しても個々に異なるものである。なるほど、Nが見たとされる服は、B、Aの供述には登場しておらず、この点に関するNの記憶が正確であるかについては疑問は存するものの、この点は、供述全体の中では、さほど重要な部分ではなく、むしろNのこうした供述に照らせば、Nは捜査段階において、捜査官による誘導もなく、自己の記憶に従って供述していたものと認められる。したがって、右服に関する供述部分によっても、Nの捜査段階における供述の信用性は左右されない。

(五) N当審証言に対する弁護人の主張に対する判断

(1) 戊川のけんかと検問の記憶について

弁護人は、右の両事件の記憶が別々のものであるとするNの当審証言は、N第二次供述並びに弁護人に対するN及びZの録音テープ(各初回)にも反するもので、信用できない旨主張する。

しかしながら、右のN第二次供述がたやすく措信できないことは、前述したとおりである上、前述した両事件に対するNの供述の経緯に照らせば、Nの右当審証言は信用できるものである。

(2) 戊川のけんかに関して

弁護人は、Nの当審証言は、戊川のけんかについて、Zもその日付についての記憶がはっきりしなかったとの部分、戊川に行った時間帯に関する部分につきZ証言等に反し、信用できない旨主張する。

しかしながら、これらはいずれも些細な部分にすぎず、前述したNの当審証言の信用性を左右するものではない。

(3) 当審における証人G'子の供述について

G'子は、昭和六一年三月当時Zと親交があった者であるが、当審において、「昭和六一年三月ころの夜、自宅一階のテレビで『夜のヒットスタジオ』を見た。この番組の中で吉州晃司がアン・ルイスにいやらしい仕種をしたので、印象に残っている。この番組を見た夜Zは自宅へ遊びに来ていなかったし、Nからの電話でZが出掛けて行ったという事実もない。警察で、この夜自宅へ泊まりに来ていたZがNからの電話によって出掛けて行ったなどと述べたのは、Zから『Nをかばうため嘘を言って欲しい。』と頼まれたからである。」旨証言する。

しかしながら、右番組を見た夜にZが自宅へ遊びに来ていなかった根拠は、同番組は自宅一階のテレビで見た覚えがあるが、Zが遊びに来ていれば一階ではなく、二階でテレビを見たはずである、というものであるが、同番組をどのテレビで見たかを数年後(証言日との関係では約八年後)まで明確に覚えているということ自体極めて不自然である上、警察で虚偽の供述をしたとする理由は、Zから、検問に捕まった時にNが覚せい剤か何かを持っていたので、それがばれるとやばいんで嘘をついてくれ、同女とZが一緒にいたことにしてくれと頼まれたからである、というものであるが、Zが昭和六一年三月二〇日午前一時五七分ころから同日午前四時ころまでの間に、Nと福井市内を車で走行中三回にわたり警察官の検問ないし職務質問に会ったことは、客観的な事実であるから、その時間帯にZが同女と一緒にいなかったことは明らかであり、また、ZがNと行動を共にする前に同女と一緒にいたとの虚偽の事実を作り上げてみても、これにより何故Nが覚せい剤事件の嫌疑を受けずに済むのか不明であること、同月一九日夜、同女がZに同女の車の鍵を渡して車を貸した可能性があること、右証言は刑訴法三二八条の弾劾証拠として取り調べられた同女の警察官調書の記載内容と矛盾していることなどに照らせば、同女の当審における供述は信用できない。

4  H子、G、I子ら三名の供述について

(一) H子の供述について

(1) その最終的な供述の要旨

「昭和六一年三月二〇日午前一時過ぎころ、着衣に血を付けた被告人に似た男が、A、Nと一緒に、当時居住していたメゾン丙川二〇一号室の自室に来た。その後、AとNがそれぞれ被告人に似た男を同室に残したまま出て行き、明け方ころ、今度はAがGを連れて自室を訪れ、同所で覚せい剤を使用するなどした後、両名はエレガント甲野へ行き、Aから被告人に似た男を後からエレガント甲野まで来させてくれと頼まれ、そのようにした。」というものである。

(2) 供述の評価

H子の右供述は、メゾン丙川を訪れたとのA、N、Gの各供述に沿うもので、基本的事項についても一貫している。H子はAが被告人らを連れて自宅を訪れた日がゴミ(可燃物)収集日に当たる三月二〇日の木曜日であると供述しているが、これは福井市清掃事務所長作成にかかる関係証拠によって裏付けられている。また、そごする点については、本件事件発生後、約八か月余りを経過した時点で取り調べを受け、供述し、記憶の整理に手間取ったりしたことに照らせば不自然ではなく、むしろこうしたそごが生じたのは、自己の記憶どおり供述した結果であるとみることができる。

(3) 疑問点に対する判断

原判決は、H子の供述は、当初Aと共に来た、血を付けた男及びもう一人の男については、当初はいずれも記憶がないとしていたのに、その後右供述のように、その内容が明確、具体的になっているが、これは、関係者、特にAの供述内容に基づいて捜査官が取り調べを行ったのに対し、明確な記憶がないのに、これに迎合して供述した疑いが強い旨判示する。

しかしながら、H子は、A及び血を付けた男と共に来た男がLであると断定していたものではなく、Aがたびたびメゾン丙川にLを連れて来ていたことから、当初は、本件のときにも、Aと共にLが来ていたかも知れないと勘違いしていたこと、取り調べによって、Aの連れの一人はNであることが分かったが、自分と同じ勝山市の出身で、昔からの知り合いであった同人の名前を出して同人に迷惑をかけたくなかったため、同人の名前を出さなかったことなどに照らすと、供述の変遷について合理的な理由がある上、供述内容は大筋において一貫していて、捜査官に迎合したとは認められない。

また血を付けた男が誰であったかとの点についても、H子の供述では、被告人の写真を見せられた際の供述が、「分かりません。」から「顔ははっきり覚えていないが、それなりのイメージは持っており、写真を見ればある程度わかる。断定はできないが、七番の男(被告人)のイメージがよく合っている。」に変遷しているものの、後者の認識を前提とすれば、当初においても全く分からなかったのではなく、漠然としながらもある程度の記憶はあったと考えられる。捜査が進展するに従い、関係証拠が増大し、それに基づきさらに関係者の取り調べを重ね、関係者の記憶喚起を求め、その記憶を整理して具体的な供述を求めること自体は、捜査の方法として不当なことではないところ、H子は、Nについては、AがNの名前を出していなかったにもかかわらず、既にNが血を付けた男らと共に自室に来たことを思い出していた(ただし、前記のとおりNをかばってその名前を出さなかった。)こと、Gに関する供述はしていない場面もあったことなど、H子の供述の変遷、進展の状況とAの供述の変遷とは必ずしも一致しておらず、原判決の指摘するような迎合があったとは認められない。

また、H子にとって、Aが血を付けた男を自室に連れて来たことはかなり特異なことであり、その際、Nが同行していたことも、同人が同郷の親しい友人で、久しぶりに再会したのであるから、いずれも記憶に残り易いといえるが、その他の事柄については、さほど記憶に残り易い事実とはいえず、しかも、本件事件発生後、取り調べまでに相当の期間が経過している。H子は、Bは、メゾン丙川二〇一号室に入室していないと、Nの供述に反する内容の供述をしているが、右に述べたところに照らせば、この程度の供述の不一致は、同女の供述の信用性を損なうものではない。

なお、原判決は、H子は覚せい剤取締法違反で逮捕される等、取り調べ当時、捜査官の意向に反し難い状況にあった旨判示するが、H子は、既に昭和六一年一一月六日覚せい剤取締法違反事件により中等少年院に送致されており、取り調べも右少年院で行われたのであるから、もはや捜査官に迎合しなければならない事情はなく、ましてや、警察に協力すべき立場、境遇にあったとは到底考えられない。

(4) 以上のとおり、H子の供述の核心部分である、Aが被告人によく似た男を昭和六一年三月二〇日午前一時ころ、自宅に連れて来たこと、そして、その男の胸等に血が付いていたのを目撃したとの同女の供述は一貫しており、その供述内容は信用できるものというべきである。

(二) Gの供述について

(1) その最終的な供述の要旨

「昭和六一年三月一九日深夜から二〇日にかけて、戊田会事務所で当番をしていると、誰か分からないがAの関係者と思われる男性からAの居場所を知りたいという電話があり、同人のポケットベルを鳴らし、事務所に電話してきた男のことを伝え、当時同人がいた場所である乙山の電話番号を聞き、再び電話をかけてきたその男に同番号を教えたような記憶がある。

その後、同事務所に来たAから『車どうにかならんか。』と言われ、仕方なく戊田会本部長のキャデラックを持ち出すことにした。その車の中でAから『覚せい剤を一発ほやこまいか。』という話があり、また『H子の部屋で被告人らがシンナーをしてH子が困っている。追い出してやってくれ。』、『被告人がやばいことしてきたんや。』という話もあった。二〇日午前四時ころ、メゾン丙川二〇一号室に着いたが、同室に被告人とH子の他、誰であるかは忘れたがもう一人いた。被告人は、同室でシンナーを吸っており、胸元と首筋に血が付いていたので、首筋の血を洗いに行かせた。同室で覚せい剤を使用した後、被告人に後から来るように言ってAとエレガント甲野に行った。」というものである。

(2) 供述の評価

Gは、Aの暴力団における兄貴分に当たる他、被告人ともかねてから親しく、一緒に食事をする等の関係があったところ、Gの供述は、具体的かつ詳細であるとともに、B、A、H子、I子らの供述とほぼ一致しており、これらの供述が信用できること(B、A、H子については前述、I子については後述)にも照らし、信用性が認められる。

(3) 疑問点に対する判断

① Lが当初関係者として登場したことについて

原判決は、Gは、捜査段階の当初Lを関係者として登場させているが、これは同人について供述したAの供述やこれに基づいてLを逮捕した捜査官側の意向の影響を受けたものである旨判示する。

しかしながら、Gが、取り調べの当初、Lの名前を出したのは、本件事件発生後約九か月以上経過して警察官の取り調べを受けたため、記憶が薄れていたこと、Gの記憶によると、H子方には同女と被告人の他にもう一人いたが名前を特定するまでに至らなかったところ、Aの供述に示唆されて、それがLであると思い込み、同人の名前を出したと推測されるものの、そのような示唆に基づく記憶の喚起自体は、何ら問題とされるべきものではない。

なお、Gの原審公判廷における供述によれば、Gが本件についての事情聴取に応じたのは、昭和六一年一二月ころ、横浜市に滞在していたところ、Qの案内で警察官二名が迎えに来、Qにおいて、事情聴取に応じなければ別件で逮捕すると警察が言っていると申し向けたことによるものであること及びGは本件の取り調べを受けていた際に、現に別件の詐欺の被疑者として捜査中であったことが認められるものの、右別件は、単純な無銭飲食という軽微な犯罪であって、これをもって、捜査官に迎合しやすい素地を生じさせるものではなく、またGが本件の事情聴取に応じるに至った右経緯も、それ自体捜査官に対して迎合的な供述をする可能性のある事情とはなり得ない。

② メゾン丙川へ向かう際にAから聞いた被告人に関する話の内容について

原判決は、Gは捜査段階において、Aから被告人が殺人を犯したと聞かされた旨明確に供述しながら、公判供述ではこの点があいまいになっており不自然である旨判示する。

しかしながら、Gは、公判廷においても「被告人がやばいことをしてきたと聞いた」と供述しており、供述内容がややあいまいになったとはいえ、もとより正反対ないし矛盾する内容でもない。そして、最初の取り調べでさえ本件事件発生後約九か月以上経過しており、原審公判廷における証人尋問はそれからさらに一年余り経過後であること、公判廷における被告人、弁護人の面前では、被告人にとって不利益なことは言いにくい状況にあったことなどに照らせば、右供述部分もGの供述の信用性を損なうものではない。しかも、戊田会事務所で事務所当番中、男から電話が入り、Aに連絡を取りたいと言われたので、ポケットベルでAを呼び出し、聞き出した乙山の電話番号を再び電話をかけてきたその男に教えたこと、Aに頼まれてメゾン丙川に行き、血を付けた被告人の姿を目撃したとのG証言の核心部分は、終始一貫している。

③ 被告人の血痕の付着状況について

原判決は、Gは、捜査段階ではメゾン丙川で会った被告人の血痕付着状況について詳細に供述しているのに、公判供述ではそれがあいまいになっているのは、不自然である旨判示する。なるほど、被告人の血痕の付着状況についての公判廷における供述は、捜査段階のそれより後退し、あいまいになっているが、前記日時の経過、公判廷においては被告人にとって不利益なことは言いにくい状況にあったことなどに照らせば、このことも捜査段階における供述の信用性を損なうものではない。

④ 原審第八回公判供述と第九回公判供述との食い違いについて

原判決は、Gは原審第八回公判では、捜査段階と異なったり、あいまいな証言をしていたにもかかわらず、同第九回公判では、捜査段階の供述に沿う明確な供述をするに至ったが、その供述の食い違いは不自然である旨判示する。

しかしながら、Gは前記のとおり被告人と親しい間柄にあったところ、第八回公判期日前に、弁護人が、二回にわたり、Gの所属していた戊田会の兄貴分を使ってGを弁護人の事務所に呼び出し、その際、弁護人から本件事件のことを聞かれ、H子方に被告人がいなかったことを前提にしたとも思える質問を受けたことから、その場で弁護人に迎合した内容の話をしたり、被告人が同会幹部であるI'某の義弟であると聞かされていたため、Gが被告人及び弁護人を面前にした公判廷で、被告人にとって不利益となるような事実を証言できなかったことは十分考えられるところである。しかし、その後所属することとなった暴力団組長から「自分の見たことは男らしくはっきり言え。」と言われたことに加え、G自身も被告人がやったことは自分できちんと責任を負うべきだと思い直し、第九回公判における証言を行ったと認められる。

これに対し、原判決は、昭和六二年四月六日に弁護人がGの供述を録音したテープ(平成二年押第二六号の14)によれば、Gはメゾン丙川のH子方に被告人がいたかどうかは分からない旨供述しているから、第八回公判供述の方が正しい記憶と考えられる旨判示する。

しかしながら、前述したGと弁護人との面会状況に照らせば、Gの右供述内容自体同人の真意に基づくものかどうかにつき疑問が残る上、H子方に被告人がいたかどうかに関する「だからいたといえばいたし、分からんのですわ。覚えてないんですわ、はっきり。」との右録音部分の内容それ自体、先に検討したとおり、第九回公判における証言の信用性を減殺するものではない。また、右録音テープでは、Gが被告人の着衣等に付いた血を見たとの捜査段階の具体的供述は、関係者の供述に迎合したものであるとの説明部分があるが、Gは原審公判廷において、誰が部屋のどこに座っていたかという見取り図については他の事件関係者の供述調書に合わせたところがあるものの、それ以外の事実関係については関係者の供述に合わせたことはないと否定しており、この点もまた、第九回公判における証言の信用性を減殺するものではない。

なお、Gは、第八回公判では被告人の胸元、首筋に血が付いているのを目撃した事実については、証言を回避ないしこれを否定しているものの、戊田会事務所で事務所当番をしていると、男から電話が入り、Aに連絡をとりたいと言われたので、ポケットベルでAを呼び出して乙山の電話番号を聞き、再び電話をかけてきたその男に同店の電話番号を教えたこと、その後、同事務所を訪れたAから頼まれ、同会本部長のキャデラックを運転し、これにAを乗車させ、メゾン丙川のH子方に行ったこと、H子方に被告人がおり、どこに血を付けていたかはともかく、その身体に血が付いているのを目撃したこと、その後Aと共にH子方を出て、キャデラックでAをエレガント甲野まで送ったことの各事実は認めている。

⑤ 戊田会事務所に電話してきた人物について

原判決は、戊田会事務所に電話してAの居場所を問い合わせてきた人物は、Bか被告人以外には考えられないのに、G供述が右人物を特定しえないのは、不自然である旨判示する。

しかしながら、そもそも電話の取り次ぎをしたという事実は、記憶に残るような特異な事柄ではない上、Gは本件事件発生後、約九か月以上経過してから取り調べを受けたもので、記憶が薄れていると考えられることに照らせば、Gが右人物の特定ができないからといって何ら不自然ではなく、むしろ、Aの供述に合わせず、右人物を不明としていることは、Gがその記憶に従って忠実に供述していることを裏付けるものである。

⑥ キャデラック車内で聞いたAの話の内容及びメゾン丙川における被告人への対応について

原判決は、キャデラック車内で聞いたAの話についてAの供述とそごがある上、メゾン丙川二〇一号室において血の付いた被告人に対し何ら具体的な説明を求めていない点で不自然である旨判示する。

しかしながら、右そごは、いわば各人の記憶の差異の問題であり、その差異の程度もさほど大きなものではないから、特に強調するには当たらない。また、メゾン丙川にいた被告人はシンナーで酩酊しており、Gが一応尋ねたものの返事が返ってこなかったこと、Aからは被告人がけんかをしたということは聞いていたが、殺人を犯したとまでは聞かされていなかったこと、その他当時Gは使用した覚せい剤の影響で判断力が劣っていたと考えられること、被告人とGとは暴力団関係者を通じての知り合いであったという関係に鑑みると、Gが被告人を詰問しただけでそれ以上の行動に出なかったことは何ら不自然ではない。

⑦ 被告人の行動及び被告人に血を洗いに行かせた状況について

原判決は、殺人を犯した被告人が衣類等に血痕を付着させながら漫然と過ごし、Gに言われて初めて首筋の血を洗いに行ったとのG供述は不自然であるとともに、被告人に血を洗いに行かせた状況に関する証言があいまいである旨判示する。

しかしながら、被告人は、前述したように長時間シンナーを吸入してぼう然自失の状態にあり、また、Aの仲間の家に匿われて安どしていた状況にあったことに照らせば、被告人が何らの積極的な行動に出なかったとしても不自然ではなく、かえって、このような被告人の行動は、殺人を犯し、その前後シンナーを吸引し続けていた者の行動として、臨場感、現実感が認められるというべきである。また、被告人に血を洗いに行かせた状況に関しては、なるほど、血の付着個所に関する供述が変遷しているが、相当期間経過後の取り調べ及びそれに基づく供述であるから、右変遷をもって不自然であるとはいえない。

⑧ 他の関係者の供述との不一致について

原判決は、その他Gの供述には他の関係者の供述との不一致がある旨判示する。

しかしながら、原判決の指摘する点は、いずれも供述の核心ではない派生的事項であって、本件事件発生後、相当期間が経過しており、各人の記憶力も異なることを考慮すれば、何ら不自然ではない。

(三) I子の供述について

(1) 捜査段階における供述の要旨

前述のとおり、I子は昭和六一年三月当時、Aとエレガント甲野で同棲していたものであるが、その捜査段階における供述の要旨は、「三月二〇日早朝ころ、被告人が左右どちらかの大腿部に点々と血を付けた姿でエレガント甲野まで来た。被告人を同室で寝かせてやったが、寝ている間にも、被告人がうなされて大声を出していたので、気味が悪いと思った。」というものである。

(2) 供述の評価

I子の右供述は、A、Gの供述に沿うものである上、Aが利用した丙山タクシーについては前記のとおり裏付けがあるから、前記供述は信用できる。

(3) 疑問点に対する判断

原判決は、I子の公判供述は、被告人を泊めた時期や、その大腿部に血を付けていた点があいまいで、捜査段階における供述と大きく変遷しており、信用できない旨判示する。

しかしながら、これは、同女が証言前に検察官による事前テストを拒否した反面、弁護人とは数回にわたり面会し、被告人及び弁護人の面前では、被告人にとって不利な証言をすることが困難な状況にあったことによるものと推認できる。また、前記のとおり被告人は当時シンナー吸入による影響を受けていたと考えられる上、このことに、被告人はさほど離れていない所から早朝車で移動してきたことをも勘案すれば、エレガント甲野に来た被告人が着衣に血を付着させていたことは、何ら不自然、不合理ではない。さらに、I子は、被告人の姿をことさら注意して見たのではなく、べッドに横になったまま、短時間見ただけであるから、被告人の胸の血に気付かなかったとしても不自然、不合理ではない。

この他、原判決は、I子に対する取り調べ状況に問題があるかの如く判示するが、I子の取り調べ状況について、供述の信用性を損なうような事情は認められない。

5  被告人と被害者との接点の有無について

(一) はじめに

前述のとおり、本件犯人が被害者と顔見知りであり、夜間被害者が一人でいることを知っていた可能性がある本件においては、被告人と被害者との間に何らかの接点があったか否かが重要な意味を持ってくると考えられる。この点については、Mの原審公判供述とAの供述があるので、以下その信用性について検討を加える。

(二) Mの供述について

(1) Mは、当時その姉が被告人と親しく付き合っていた者であるが、同人の原審における証言は、昭和六一年二月下旬ころ、被告人とドライブした時に、被告人に被害者の名前、住所、電話番号を教え、ついでに、被害者が母親と二人暮らしであること、母親は夜間不在であるので、被害者を訪ねるなら午後一〇時か一〇時半ころのほうが都合が良いことを教えてやったというものである。右証言は具体的かつ詳細であり、信用できる。

(2) これに対し、原判決は、被告人が右機会に口頭で一度だけ聞いた被害者の名前や電話番号等を正確に記憶できるはずはなく、そのような方法で教えたとの右M証言は不自然である旨判示する。

しかしながら、被告人は右当時メモをしていた(Aは、被告人の手帳に被害者の電話番号が書かれているのを目撃したと供述している。)か、または、被害者の氏名ないし居住する団地名ぐらいは十分記憶でき、後日、Mに聞くなど何らかの方法により被害者の電話番号を調べることも可能であるから、このことから直ちにMの供述の信用性に疑問があるとはいえない。

(3) 次に原判決は、仮に被告人がMの紹介により本件発生までの間に被害者に電話をするなどして接触を持ち、被害者方を訪れていたとすれば、電話番号のメモ等これを裏付ける何らかの物的証拠やこれを見聞きした人証が存在してしかるべきと思われるのに、被害者の身辺を含め、そのような証拠が一切ないのは不自然である旨判示する。

しかしながら、Aの供述によれば、Aは、被告人から、被害者の名前や電話番号、同女との接触状況を聞くなどしていたというのであるから、両名の交際に関してこれを見聞した者が全くいないとはいえないし、被告人がMから被害者の紹介を受けてから本件犯行までは一か月足らずであること、被告人が被害者方を訪れたとすれば、母親の不在な午後一〇時前後ころから深夜にかけての時間帯であったはずで、他人に目撃されることはほとんどなかったと考えられることに照らせば、A以外に被告人が被害者方に出入りするのを見聞した者がいなかったとしても、何ら不合理ではない。また、被告人及び被害者の身辺からは、被害者との接触や被害者方への出入りを裏付けるような物的証拠が発見されなかったが、被告人が逮捕されたのは本件犯行後一年余り経過してからであり、その間、被告人は、警察から容疑者として疑われていることを察知していたから、前記証拠を隠滅した可能性もなくはない。また、本件犯行の内容からみて、被害者が被告人に対して良い感情をもっていなかったとも推認しうる。現に被害者方を全く知らなかったBが被告人の案内で犯行現場である被害者方付近まで赴いている事実が存し、被告人自身、原審公判廷において、当時Mに、女の子を紹介して欲しいと頼んだことは認めているものである。

(4) また、原判決は、Mは、本件発生直後に取り調べを受けた際に被害者の交遊者として被告人の名前を出さなかったにもかかわらず、その約一〇か月後に初めて被告人の名前を出したことは、不自然である旨判示する。

なるほど、右供述の経過については、不自然さは免れがたいが、当初被告人の名前を出すことを恐れていたが、その後、関係者の供述により既に被告人の名前が判明していたので、隠し切れず正直に供述をしたのではないかとも考えられ、前述したところにより当裁判所を肯定した前記供述の信用性を損なうものではない。

(三) Aの供述について

(1) Aの供述は、昭和六一年三月ころ、被告人から、シンナーがあれば女を誘えるから、どうしてもシンナーがいると頼まれ、被告人と共に甲沢商事に行ってシンナーの一斗缶を盗み出した後、前記T子方へ向かう途中、丁原団地の側を通ったところ、被告人が「シンナーで誘おうとしている女は、ここに住んでいるんや。」と話しており、その後被告人からその女の名前が被害者であると聞いたこと、またAは、被告人の手帳に同女の電話番号《省略》が記載されているのも見せられたというものである。

Aの右供述は具体的で一貫しており、Mの供述にも合致するものである。またAと共に甲沢商事でトルエンを盗み出したことは、被告人も認めており、これらに照らせば、Aの供述は信用できるというべきである。

(2) 原判決は、Aの供述はそれ自体信用性に乏しい上、Aと共に甲沢商事でトルエンを盗んだこと自体は被告人も認めるが、その時期について大きく供述を変遷していること、右手帳の存在について全く裏付けがないことに照らし、右供述は信用性がない旨判示する。

しかしながら、Aの供述が信用できることは前述のとおりである上、甲沢商事からトルエンを盗んだ時期についても、昭和六一年三月で本件犯行日前ということでは供述内容が一致しており、原判決の判示するような大きな変遷とはいえない。また手帳が発見されなかった点についても、前述したとおり合理的理由が考えられる。これらに照らせば、原判決の右判断は採用することができない。

(四) 以上のとおり、被告人と被害者との接点を肯定するM及びAの各供述は信用性があると考えられるが、さらに、被告人自身Mに対し、女の子を紹介して欲しい旨依頼したこと自体は認めていることをも勘案すれば、被告人は、本件犯行前に被害者と少なくとも面識があったものと認めることができる。

6  事件発生後の被告人の言動について

被告人の中学の一年後輩で友人のCの原審証言によれば、被告人は、本件発生後の昭和六一年七月から同年一〇月ころにかけて、Cに対し合計三回電話を掛けているが、その際に被告人が供述した内容は、「本件で犯人が挙がると何年位刑をつとめなければならないのか。」、「逃げたい、俺は逃げるわ。」、「精神異常者の犯行なら罪にならないんじゃないか。」、「このまま俺がアホだったら警察に疑われなくて済むんじゃないか。」(以上七月七日ころの電話)、「あの殺人事件はどうなったんだ。」、「ああいう事件は本当はなかったんじゃないのか。空想の事件じゃないのか。」(以上九月か一〇月ころの電話)、逮捕されたLがどうなったかとの趣旨の発言、「Aの言ったことで自分が疑われているんじゃないか。」(以上一二月二〇日ころの電話)であったというものである。Cの右証言は、具体的で臨場感があり、こうした電話をした覚えがないとの被告人の供述と対比しても、信用できると考えられる。

原判決は、右C証言は基本的に信用できるとしながら、右証言に表れた被告人の言動については多義的な解釈が可能であり、当時シンナーにたんできしており、本件について取り調べの対象となった者が、心許せる友人に不安な心理状態を吐露した発言としても理解できなくはないとして、その状況証拠性を排斥している。

しかしながら、右七月七日ころの電話を全体的にみれば、犯人以外の者がこのような発言をすることはあり得ず、被告人を主体とし、その関連で話をしているとみるべきであり、「逃げたい、俺逃げるわ。」との発言を単に病院から逃げ出したいとの趣旨の発言と解するのは失当であり、現に、被告人から右発言を聞かされたCも、その時、犯人は被告人ではないかと思ったと証言している。また、九月または一〇月ころの電話について原判決は、被告人が本件で取り調べを受けたこと及びシンナーの影響から、不安な心理状態に陥って供述したものであるとするが、被告人がその後の本件に関する捜査状況を心配してCに尋ねており、さらに、被告人が本件に関わりがないことをほのめかすかのように、事件の不存在、空想化を訴えている。当初被告人は本件の関係で取り調べられたのはシンナー吸引の前歴が原因であって、その内容もT子に対する輪姦事件が中心で、本件に関しては犯行当夜のアリバイ等につき簡単な事情聴取を受けたに過ぎず、被告人が犯行を否認したため一たんは容疑者の対象からはずされ、その後は全く警察官の取り調べを受けていなかったことに鑑みると、被告人が本件と関わりがないのであれば、原判決が判示するような不安な心理状態に陥るような事情は全くないから、被告人の右言動を本件とは無関係な一般市民の発言として理解することは困難である。さらに、一二月二〇日ころの電話については、被告人が本件犯人であるからこそ、本件に関する事情をよく知っているAの供述に基づき、いずれ近いうちに警察の捜査の手が自己にも及んでくるものと考え、不安な気持から捜査の情報を探るような言動に出たと解される。

また、被告人は、これ以外にもGに対しては、飲酒の上であるとはいえ、本件犯行後「俺がやった。」との発言をしたほか、福井県立精神病院に入院していた昭和六二年一月ころには、Yが「お前、本当にやっていないんやろな。」などと尋ねたのに対し、「やったかやらんか、そんなもんシンナー吸っていたんやで、分かるわけない。」などとあいまいな返答をしている。

これらに照らせば、被告人は、少なからぬ機会に、自己が犯人であることを認めるかのような言動に出ているのであって、このことは、被告人が本件犯行を犯したことを推測させる重要な根拠となりうると解される。

二  毛髪鑑定について

1  鑑定資料の収集

前記のとおり、犯行現場から押収された電気カーペット用上敷に付着していた毛髪様のもの九九本(昭和六一年四月四日採取、その後分類されたもの。平成二年押第二六号の8はその一部。)と昭和六二年五月二一日、身体検査令状により被告人から採取された被告人の頭毛二五本等(同押号の10はその一部)との異同識別鑑定が実施された。そして、佐藤鑑定によると、犯行現場から採取された毛髪様のもの九九本のうち頭毛二本が色調、髄質の出現形態、太さ、長さ、形状などの観点から被告人の頭毛に極めてよく類似しており、血液型がいずれもB型で合致していること、元素分析の結果も塩素のX線強度、カリウム・カルシウムのX線強度とX線スペクトル・パターンの分析結果がよく一致していることが認められ、これらの形態学的検査、血液型検査、元素分析検査の結果を総合的に判断して、右頭毛二本と被告人の頭毛とは、同一人の頭毛であると考えられるとの結論に至っている。

反対に、千葉大学医学部法医学教室教授である鑑定人木村康作成の鑑定書及び同人の原審公判廷供述(以下木村鑑定という)によると、右毛髪二本は、被告人の毛髪二本とその形状、肉眼的色調等類似する点が多いが、色素顆粒の系統が異なるので、酪似するとは断定しえず、両者は由来が異なるとの結論に至っている。

2  鑑定の評価

毛髪による個人識別は、指紋の場合とは異なり、現在においても、その検査方法、信頼性に関して確立した見解が存しないから、その結果を犯人の同一性の立証に用いる際には、当該鑑定がいかなる手法に依拠してなされたものであるかを慎重に吟味することが必要である。そして、前記木村及び佐藤鑑定の内容に照らせば、これらのいずれもが、異なった分析、検査方法に依拠して、本件において犯行現場に遣留された毛髪と被告人のそれとの異同識別に関しては、正反対の結論に至っている。そうして、現段階では、右両鑑定の手法、結論のうちいずれが法医学の分野において理論上正鵠を得たものであるかを確定することはできないから、当裁判所として両鑑定のいずれが信用できると即断することはできない。

しかしながら、右同一性を肯定した佐藤鑑定の結論を前提とすれば、それは、被告人が本件犯行現場にいたことを裏付ける重要な資料であり、当裁判所のこれまでの検討、吟味に対する補強となる。他方、これを否定した木村鑑定の結論を前提としても、それは、犯行現場に被告人がいたことを直接裏付ける物証がないことを意味するというに止まっている。

したがって、これら二つの毛髪鑑定の結果は、いずれにしても、前述した当裁判所の判断を覆すものではない。

三  アリバイの成否について

弁護人は、昭和六一年三月一九日午後九時四〇分ころの本件発生時には、被告人は自宅で母、祖父、姉夫婦らと夕食を共にしており、アリバイがある旨主張する。

しかしながら、右主張に沿う乙沢秋子、Yら及び被告人の証言ないし供述は、その内容、レシート及び注文伝票一綴、出勤簿一綴、手帳の記載等に照らし信用できず、本件発生当時、被告人が家族らと共に自宅にいたとの事実は認められないから、被告人にはアリバイが成立しないとの原判決の判示は相当として、これを是認することができる。

四  当裁判所の結論

1  以上説示したとおり、本件殺人の犯行当夜犯行現場である丁原団地に被告人を連れて行き、本件犯行直後に血を着衣等に付着させた被告人を目撃した、被告人から本件犯行の告白を聞いたなどとする前記B、A、N等の供述部分は十分に信用でき、犯人と被告人とを結び付ける決定的な証拠としての価値を有するものであり、これらの各供述によれば、被告人の本件事件当夜から翌朝にかけての行動を以下のように認めることができる。

(一) 被告人は、昭和六一年三月一九日午後九時ころ、中学校の先輩であるAがI子と同棲していた福井市所在のエレガント甲野に行き、純トロと呼ばれる一斗缶入りの有機溶剤(シンナー)をAから受け取った後、たまたま同所を訪れていたB運転の自動車(スカイライン)に乗車して、丁原団地に向かい、途中、同市所在の菅谷公園前で、一斗缶から一リットル瓶にシンナーを移し替えたのち、同団地六号館前に停車させ、一人で六号館の方へ向かった。

その後、同日午後一〇時前後ころ、被告人は、衣服等に血液を付着させて、Bの車に戻ったが、Bから右手の血痕を見とがめられて、「けんかをした」と答え、姉夫婦であるYらの住む福井市所在の甲田コーポへ行くように指示し、まもなく同所に到着した。しかしYらが不在であったので、被告人は、再びエレガント甲野に向かうよう指示したが、その間被告人は、終始うつ向いてシンナーを吸っており、時折、「あの女馬か野郎。」等とつぶやいていた。

(二) エレガント甲野に到着したものの、Aも不在であったので、被告人は、当時Aが所属していた暴力団戊田会事務所に電話連絡し、翌三月二〇日午前零時ころ同事務所当番のGと応対した結果、当時福井市所在の乙山で遊んでいたAと電話連絡が取れた。「人を殺してしもたんや。どうしていいか分からんのや」との被告人の説明を聞いたAは、同所に来るよう被告人に指示するとともに、一緒に遊んでいたNを北陸高校の近くまで迎えに行かせ、被告人は、Nの案内により、B運転の自動車で、乙山に到着した。

Aは、乙山前路上で被告人と会ったが、被告人が衣服等に血液を付着させているのを見て、「どうしたんや。」と尋ねたところ、被告人が「死んでしまったかも知れん。この前誘おうとした中学生の女や。」と答えたため、被告人を匿うべく、Nらとともに、被告人を連れて乙山から友人H子の住む福井市所在のメゾン丙川へ行った。被告人はシンナー吸引のためろれつが回らない状態であったが、予定されていた覚せい剤の取引が気になっていたAは、NとH子に被告人の面倒を見させた。

(三) Aは、エレガント甲野の自宅に帰った後の同日午前三時ころ、Oから、覚せい剤を取りに来るよう電話連絡を受けたため、指示された場所に覚せい剤を取りに行って戊田会に寄ったのち、Gとともに、組事務所のキャデラックでメゾン丙川に戻って被告人に会い、なおもシンナーを吸引し続けていた被告人に注意するとともに、三〇分ほどしたらエレガント甲野まで来るよう指示を与えた。被告人は、同日午前六時ころエレガント甲野までスカイラインを運転して来た。その後Aの指示で同所で、被告人はシャワーを浴びた後、衣服を借りて就寝したが、その間「ギャー」、とか「ウワッー」と大声を出す等し、うなされていた。

同日午後、Aは、被告人を伴い被告人方へ車で赴いたが、車中、被告人から改めて本件殺人を犯したことを告げられ、服役期間はどの位になるかなどと尋ねられた。

2  以上の事実に加え、被告人が、犯行後自己が犯人でなければ説明のつかない言動をしたこと、被告人と被害者は本件犯行以前に少なくとも面識があったと認められること、被告人が本件犯行から推測される犯人像とは外れるものではないこと及び本件における前記認定の捜査の状況、更には被告人にアリバイがないことなどを総合判断すると、本件殺人が被告人の犯行であることに合理的な疑いを入れる余地はない。前記毛髪鑑定の結果も右判断を左右しないというべきである。原判決の無罪部分は、証拠の判断に当たって、誤った前提に立脚し、その結果、被告人と本件犯行を結び付ける積極証拠の価値を正しく評価しなかったといわざるをえない。結局、原判決の無罪部分には所論のいうような事実誤認があり、その誤りが判決に影響を及ぼすことが明らかであって、破棄を免れない。論旨は理由がある。

そこで、刑訴法三七九条一項、三二八条により原判決中無罪部分を破棄し、同法四〇〇条ただし書にしたがい、さらに次のとおり判決する。

第三当裁判所の判決の理由

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和六一年三月一九日午後九時三〇分ころから四〇分ころにかけて、福井市《番地省略》所在の市営住宅六号館二三九号室のF子方において、同女の二女E子(当時一五歳)といさかいになって激昂の余り殺意をもって、右E子に対し、同室にあったガラス製灰皿(平成二年押第二六号の1)でその頭部を数回殴打し、同じく同室にあった電気カーペットのコード(同押号の4)でその首を締め、同じく同室にあった包丁(同押号の2及び3)でその顔面、頸部、胸部等をめった突きにし、よって、そのころ、同所において、同女を脳挫傷、窒息、失血等により死亡させて殺害したものである。

なお、被告人は、本件当時、シンナー乱用による幻覚、妄想状態で、心神耗弱の状態にあったものである。

(証拠の標目)《省略》

(被告人が本件殺人の犯行当時、心神耗弱の状態にあったと認定した理由)

被告人は、中学二年生ころからシンナーの吸引を始め、その後徐々にこれが習慣化するとともに、シンナー吸引の乱用が始まり、中学在学中の昭和五五年五月二日から同年六月三日までの間、シンナー依存症により武生神経病院に、昭和六〇年一月二三日から同月三一日までの間シンナー乱用兼性格障害により財団法人松原病院にそれぞれ入院した。この間、被告人のシンナー非行も深刻化し、二度の少年院収容を経て、昭和六〇年三月にもシンナー吸引によって京都医療少年院に入院し、昭和六一年一月一〇日に同少年院を仮退院したが、その後もシンナー吸引は止まず、本件犯行後の同年五月から翌六二年一月八日までの間にも合計三回にわたって精神病院等への入院を繰り返す等、シンナーに対する依存性が強かったと考えられる。そして、医師山口成良作成の精神鑑定書及び同人の原審公判廷における証言によると、金沢大学医学部教授である同人は、被告人はこうしたシンナー吸引時にはたびたび独り言し、友人とシンナーを吸引すると、その友人が自分の悪口を言っているような気がしたり、そのような内容の幻聴があったりして、立腹して友人の首を絞めたり、暴行を加えるようなことがあったこと、被告人には、シンナー吸引時の異常体験として、守護霊(色のついた煙のようなもの)が見えたりしたことがあり、これらシンナー乱用歴、その内容から判断すると、被告人はシンナー吸引時には幻覚妄想状態にあり、他人に暴行を加えるなどの状態になるが、このような状態にある時、他人から悪口、その他暴言を言われると、常識では考えられないほどの興奮状態になることが十分考えられ、もし、被告人がシンナーを吸引した後、被害者をシンナー遊びに誘い、これを断られ、なにか気にさわることを言われたと仮定すると、幻覚妄想状態にあり、極度の興奮状態を伴うため、無我夢中で殺人を犯すことも考えられるし、本件犯行当時はシンナー乱用による幻覚、妄想状態にあったと推定され、その症状の程度は、是非善悪を弁識し、その弁識に従って行為することのできる能力が著しく減退した状態にあったものと推定され、この状態は、被告人の責任能力を著しく限定するものである、と結論付けている。

そこで、本件犯行の態様及び状況に徴して、被告人の当時の精神状態についてみると、前記のとおり、本件においては、被告人の自白はなく、また、犯行そのものの目撃者等もないので、被告人の本件犯行についての動機を証拠上確定することはできないが、少なくとも被害者といさかいになって激昂の余りの犯行であることまでは認定できるところ、そのようないさかい程度の動機から前述したような執拗かつ残虐な本件犯行に及んだ点については、了解の余地が全くないというわけではないが、通常人の理解に苦しむところといわざるをえない。他方、被告人は、犯行後現場から離脱するとともに、シンナーを吸引しながらも親族ないし友人に対し庇護及び善後策の相談を求める等、その時々において的確な状況判断を行っていることも認められる。これらの諸点に、前記鑑定書の記載等、前記認定の本件犯行前後における被告人の言動に関する関係者の供述等を勘案すれば、被告人は本件犯行当時、シンナー乱用による幻覚、妄想により是非を弁別し、かつ、その弁識に従って行動する能力が著しく減弱していた状態、すなわち責任能力が著しく減弱していた心神耗弱の状態にあったものと認めるのが相当である。

(法令の適用)

被告人の判示所為は、刑法一九九条に該当するところ、所定刑中有期懲役刑を選択し、右は心神耗弱者の行為であるから同法三九条二項、六八条三号により法律上の減軽をした刑期の範囲内で被告人を懲役七年に処し、同法二一条を適用して原審における未決勾留日数中六五〇日を右刑に算入し、原審及び当審における訴訟費用については刑訴法一八一条一項本文により被告人に負担させることとして、主文のとおり判決する。

(量刑の理由)

本件は、被告人が、シンナーを吸引するための場所を求めて訪問した先の市街地にある団地の一室において、深夜、一人で留守番をしていた女子中学生といさかいになって、シンナー吸入による影響もあって激高の余り、同女に対し、ガラス製灰皿でその頭部を数回殴打し、電気コードで首を絞め、包丁でその顔面、頸部、胸部等をめった突きにするなどして同女を殺害したものであるが、短気な性格のうえに従来からのシンナーへのたんできが原因であって、動機につき酌量すべき事情は認められないばかりか、執拗で残虐な行為態様に照らせば、犯行は悪質かつ非道というほかなく、凄惨をきわめた遺体の状況には目を覆わざるをえず、中学の卒業式を当日終え、高校進学を目前にしていた矢先に突如として一命を奪われた被害者及びその遺族の無念は察するに十分である。それにもかかわらず、被告人は不合理な弁解を繰り返して本件犯人であることを否認するなど反省悔悟の態度が全く認められないばかりか、遺族に対し何ら慰謝の措置を講じておらず、遺族の被害感情は今なお強烈であると考えられる。また、本件犯行が市街地内の団地で敢行されたことは、団地住民のみならず、地域社会にも衝撃を与え、その不安と恐怖は深刻であったこともうかがわれる。これら諸点に、これまでに何度も入院する等してシンナーの害悪を知悉しながら、定職にも就かず不良交遊の中で又もやシンナーにたんできしていた当時の被告人の生活態度をも勘案すると、被告人の刑事責任は重大である。しかしながら、他方、本件が計画的な犯行ではないことや被告人の年齢、自由刑に処せられるのは今回が初めてであることなど被告人にとって有利ないし斟酌すべき事情をも併せ考慮して、有期懲役刑を選択した上、犯行時心神耗弱の状態にあったから法律上の減軽をし、被告人を主文掲記の懲役七年に処するのを相当と判断した。

(裁判長裁判官 小島裕史 裁判官 松尾昭彦 裁判官 田中敦)

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